経済・社会

2022.11.03 17:00

ロシアのエレベーターが「ロシアン・ルーレット」な理由と「プーチンの頭の中」


豊かな文学が育つ土壌


このように、あまり秩序立てて考えようとをしない傾向があると思われるロシアでは、文学で不合理な社会を描き出したいという動機が、豊かに育つのではないでしょうか。ドストエフスキーを始めとする偉大な文学者が育った土壌は、昔からあったのではないか、と思います。ロシアの現実そのものがあまりにも罪だから、魂とは、倫理とは、人間とは、という原点に立ちかえらざるをえなかった。

たとえばチェーホフの名作『サハリン紀行』で、主人公がシベリアのトムスクに行き、レストランで「スプーンをくれ」とウェイトレスに頼むシーンがあります。すると彼女が、自分のスカートのお尻でひょいとスプーンを拭いて渡すんです。

ここはまさに、「はちゃめちゃで秩序感がない」ロシアらしさを象徴しているシーンだと思います。同時にチェーホフは、そういうはちゃめちゃ感、倫理観の不在をこよなく愛してもいたのではないでしょうか。

数字を使う人は「怪しい」?


ロシアではこんなふうに、数字に対する感覚が世界とはまったく異なると思います。数字を使う人はむしろインチキだ、数字でごまかそうとしている、そもそも数字は客観的でないのだから、という常識さえあると感じますね。

ロシアでは、数字を引用するという行為はすなわち「自分の言説を客観的に見せかけようとしている証拠」ですらある。「本当のことを言っているふりをしたい人は数字を使う」といったイメージが、ロシアの人たちの間にはあるような気がします。

エレベーターの例同様、ロシアでは「数字の意味」があまり考えられない。自分の言いたいことを強調するために貢献してくれる「"その"数字」にしか目は留まらない。前後のデータとの相対性などには興味がないのではないでしょうか。

エレベーターの順不同の階数ボタンが象徴するもの、それは、「数字は記号にすぎない」「数字は客観的でない」という、ロシアの人たちが持つ数字へのイメージだと私は思います。

ソ連時代に政治家たちが自国の生産高や経済指標を挙げていたときも、国民は「彼らは客観的でないな」という印象しか受けていなかったのかもしれませんね。



中村逸郎(なかむら・いつろう)
◎1956年生まれ、ロシア研究の第一人者。筑波大学名誉教授、島根県立大学客員教授。2017年『シベリア最深紀行』で梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。『ロシアを決して信じるな』 (新潮新書)、『東京発モスクワ秘密文書』(新潮社) 、『ロシア市民』(岩波新書)、『ろくでなしのロシア』(講談社刊)など著書多数。

文=石井節子

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