ウクライナ独立を「渋々認めた」ゴルバチョフは解放者だったか

ゴルバチョフはウクライナの独立を「渋々認めた」が、後にこの判断は誤りであったと述べた──(Getty Images)

ロシアがウクライナの支配を取り戻そうとしている今、ゴルバチョフのウクライナに対する態度はより曖昧だったと思える。

ソ連最後の指導者は、ペレストロイカとグラスノスチの提唱者としてだけではなく、ウクライナのソ連からの独立を望まなかった人物としても記憶されている。Newsweekによれば、ゴルバチョフはウクライナの独立を渋々認めたが、後にこの判断は誤りであったと述べた。

91歳のゴルバチョフの死は、彼の「政治的遺産」を全世界に再び思い出させることになるだろう。ゴルバチョフはウクライナが何世紀にもわたったロシアの支配に挑戦し、独立を宣言した年の前年である1990年、ソビエト連邦の初代大統領になった。

ゴルバチョフは解放者だったか?


ソ連共産党書記長で大統領であったゴルバチョフは、大規模な改革を行った政治家として歴史に名を残している。西側諸国との関係を改善し、ソビエト連邦中央政府の、共和国の政治・経済に対する支配力を弱めようとした。この改革は1991年のソビエト連邦の崩壊とともに幕を閉じた。

西側諸国では、ゴルバチョフを解放者とみなす人が多い。BBCの安全保障特派員フランク・ガードナーはTwitterで、「旧ソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフが死去した日、我々は彼の功績を思い起こす必要がある──ソビエト連邦に終止符を打ち、ウクライナを含む多くの独立国家を解放した」「1987年に私がモスクワを訪れたとき、すでにロシアはその改造のおかげで変わりつつあった」と述べた。

しかし多くの政治家は、ゴルバチョフがソビエト連邦の崩壊を目指したわけではないと記憶する。ウクライナがソ連から離脱する意向を示したとき、彼はウクライナをロシアの領域にとどめようとし、米国がウクライナを考え直させるように求めた。ゴルバチョフは当時のブッシュ大統領に、ウクライナに「自殺的ナショナリズム」を警告するよう訴えたと、英国国防安全保障研究所のジュニア研究員は振り返る。そして1991年、ブッシュはキエフでの演説で、ゴルバチョフの改革を評価し、「自由と独立は別物だ」と述べた。

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ゴルバチョフは、1991年、ウクライナが何世紀にもわたったロシアの支配に挑戦し、独立を宣言した年に、ソビエト連邦の初代大統領になった。/ Getty Images

2016年に、ゴルバチョフは「常に改革されたソビエト連邦を残したいと思っていた」と述べている。
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編集=石井節子 協力=伏見比那子

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