ゲルニカが「亡命」し続けた理由 ピカソの「ゲルニカ」返還|今日は何の日 9月10日

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1981年9月10日、パブロ・ピカソが1937年に描いた「ゲルニカ」が44年の月日を経て、米国のニューヨーク近代美術館(MoMA)からピカソの故郷であるスペインへと返還されました。

ゲルニカがスペイン入りしたのはこのときが初めて。ゲルニカはピカソ自身の願いによって、MoMAに疎開または亡命をしていたのです。

1937年4月26日、スペインのバスク地方にあるゲルニカが空爆を受けました。一般市民を狙った都市無差別爆撃です。当時のスペインは内戦中で、共和国政府に反旗を翻したフランコ将軍を支援するナチス・ドイツが攻撃を行いました。

その頃、パリで活躍していたピカソは、スペイン共和国政府からパリで開かれる万国博覧会のスペイン共和国パビリオンに飾る作品の依頼を受け、構想に悩んでいたそうです。

ゲルニカへの空爆を知ったピカソは大きなショックを受け、絵筆をとります。そして爆撃からわずか77日後の7月12日、約3.50メートル×約7.8メートルの大作であるゲルニカをスペイン共和国パビリオンで公開しました。

1939年にスペイン共和国は崩壊。戦争終了後も、フランコは長らくスペインを独裁下におきました。

ピカソはMoMAでゲルニカを保管することを決意し、スペインの人民に自由が戻るその日まではゲルニカをスペインにわたさないよう約束を交わします。1973年にピカソは死去しますが、約束通りゲルニカはMoMAに“亡命”し続けました。

その後、1975年にフランコが死去してスペインの民主化が急速に進みます。ピカソが掲げていた帰還の条件が満たされ、1981年にようやくゲルニカがスペインへとわたったのです。

現在、ロシアのウクライナ侵攻などによって、再びゲルニカへの注目度が高まっています。

2022年の8月16日から28日まで、NHKが8K技術で撮影したゲルニカをほぼ原寸大の325インチ8K大型モニターで上映するイベントが、東京新宿区にある東京オペラシティタワーのNTTインターコミュニケーション・センターで開かれていました。

残念ながら催しは終了してしまったものの、実は世界に3点しかないピカソが監修したゲルニカのタペストリーのうちの1つが日本の群馬県立近代美術館にあります。劣化を防ぐため毎回期間を限定して公開しているため、こちらも今回の展示は8月28日まで。次回の展示をぜひチェックしてみてください。

連載:今日は何の日?

執筆協力=アステル

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