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2022.09.16

突如現れすぐに品薄。注目の「Nothing」は退屈なスマホ業界を変えられるか

Nothing CEO カール・ペイ/ Forbes JAPANにて撮影


彼らはシンセサイザーといった電子機器のメーカーで、アート性の高いユニークなデザインをした製品が高く評価されています。Phone(1)の背面がスケルトンで、内部のパーツが見える斬新なデザインも、彼らとの共同作業で生まれたものです。

───ペイさんは、2016年のForbes US版のUnder 30に選出されています。その当時は中国市場で携帯電話を先駆けて発売したOnePlusの共同創業者兼グローバルマーケティング・ディレクターとして活躍されていました。そこからなぜNothingを起業しようと思い至ったのか?

当時の私はちょうど24歳でした。マーケティング戦略で会社の方針と意見が合わないことがあっても、経験不足ゆえにそれに対処する術を持っていませんでした。大企業でしたので、多くの投資家や従業員と関わり、自分の考えを通すことは非常に難しい状況だったのです。次第に、自分と小さなチームだけで対応できるような仕事がしたいと考えるようになり、独立する決心を決意しました。

OnePlus時代の写真
2015年のOnePlus時代の製品ローンチ動画より。当時YouTubeで新製品の発表するのは世界的にも珍しく、この動画では視点移動できる仕組みを使い、よりインタラクティブな世界を見せていた。

Nothingのビデオ
カール・ペイは動画でのプレゼンテーションに注力しており、それはOnePlus時代からの彼の流儀のひとつ。現在、NothingのYouTubeには、映画のようなドキュメントストーリーがいくつもアップされている。

───起業当時、すでに同社製品第1号のイヤフォンNothing Ear(1)やPhone(1)といった事業アイデアがあった?

事業計画は今とは違いました。最初の事業計画では、OnePlusでできなかったマーケティング戦略を試すつもりでいたのですが、スウェーデンの投資家にプレゼンすると、彼らは、「もう一つのOnePlusには興味がない」、「もっと価値を生み出す会社に投資したい」と私たちの計画に興味を持ちませんでした。私たちの事業計画は十分ではなかったのです。対話を続けていきながら、事業計画を修正していきました。

実はAppleギーク


───会社を当時生活の拠点だったスウェーデンではなく、ロンドンにした理由は?

多種多様なバッググラウンドを持った人材が欧州各地から集まっているからです。それに意外に大企業もありませんので、優秀な人材を集めやすい利点もあります。私たちのデザインチームのトップは、ダイソンから優秀な人材を引き連れ、私たちの会社に移ってくれました。そういう意味で、英国や欧州の市場は起業するのに向いていると思います。

───ご自身についてですが、中国・北京生まれ、育ちはスウェーデン、中国大手携帯電話会社OPPO勤務後にOnePlus創業、とユニークな経歴をお持ちです

私の両親がスウェーデンで博士号を取得することになったので、6歳の時に米国から移り住んだのです。米国へは4歳の時に親の研究の関係で中国から移りました。私の両親が研究で忙しかったので、私はコンピューターゲームばかりして一人で過ごすことが多かったのです。インターネットと共に成長したと言えますね。12歳の頃には自分でウェブサイトを制作するまでになっていました。

外での写真

ありとあらゆるデバイスに興味がありました。iPodが発売されると、学校で最初にiPodを買ってもらった子どもでしたし、iPhoneやiPadも最初に買ってもらった子供でした。もちろん、ウォークマンもですけどね(笑)。インターネットサービスにも興味がありました。Facebookが登場すれば、すぐに利用しましたし、ブログも即立ち上げました。小さい頃からオンライン広告の制作やデジタル系のプロジェクトを請け負ったりもしていました。実はAppleオタクで、Apple製品は全機種持っていたこともあります。
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文=中沢弘子 写真=苅部太郎(人物)

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