もう一度、ハワイで生活したい。そんな気持ちを抑えきれず、ハワイに繋がりを持てたらという想いで、吉田さんは「アコーディア・ゴルフ」という会社に転職する。同社がハワイのゴルフ場を買収する事業計画があり、再びハワイ駐在ができるのではないかとの期待があった。慶應の人脈で一度目のハワイ生活を実現した吉田さんが、今度はゴルフのルートを辿ったわけだ。
吉田太郎さん
ところが、この転職は思い通りにはいかなかった。当初予定していたゴルフ場買収も予定通りには進まず、ハワイ駐在の夢は遠のくばかり。子どもも成長し、「もう日本でいいか」と一時はあきらめたそうだ。ところが、ここで今度は慶應ゴルフ部の人脈が浮上する。
ゴルフ部時代に試合会場でよく顔を合わせていた他大学ゴルフ部の友人が静岡新聞社の社長で、子会社である「ハワイ報知」の社長を探していたのだ。その白羽の矢が吉田さんに立った。思わぬところから復活したハワイ移住の話にふたつ返事で応じたそうだ。
ハワイ生活には日本と違うゆったりとした時間が流れる(撮影:岩瀬英介)
現地法人の副社長としてハワイに赴任して、翌2015年に社長に就任。ハワイ現地のニュースをいち早く日本語で伝えるために地元の大手英字新聞の翻訳権を得たり、ハワイ便の機内でも新聞を読めるようにしたり、最近では電子版も発行するなど、歴史ある新聞であるがゆえに抱えていた問題を次々と改革していった。
その仕事の合間に、トレッキングやトライアスロンを楽しんだり、ゴルフも定期的にこなしたり、しっかりとハワイ生活を楽しんでいる。慶應大学に通う長男のために夫人は日本に残り、自身はハワイの高校に通う次男と現地に住むという日米別居状態になったのは予想していなかったそうだが、ハワイ生活の豊かさはやはり捨てがたいと言う。
振り返れば、慶應つながりで転職したことで経験したハワイ生活、そして2度目のハワイ生活はゴルフ部時代の仲間がアレンジしてくれたことになる。
私と吉田さんは、地元の有志と共に「日本人が投票するハワイランキング111ハワイアワード」(111hawaiiaward.com)を立ち上げた仲間でもある。慶應とゴルフだけでなく、持ち前の人懐っこさも合わせ持ち、その人脈の広さは約2万人とも言われるハワイ新一世の中でも1、2を争うと筆者は考えている。今日もハワイのどこかで誰かと楽しい宴を開いているにちがいない。
【連載】観光目線からは見えないシン・ハワイ