マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」 幻となった東京ドーム公演の秘話

マイケル・ジャクソン(Photo by Brian Rasic/Getty Images)

筆者は1990年代に東京ドームの取締役として、マイケルのツアーを92年12月に「Dangerous World Tour」8回、96年には「HIStory World Tour」を4回招聘興行した実績があり、「THIS IS IT」についても、世界興行元のAEG社のプロデューサーから相談を受けていた。

先ずロンドンのO2アリーナが初演の場所として選ばれた理由だが、児童性的虐待疑惑のマイナスイメージが強く残っている米国でツアーを始めて、酷評されたり、チケットが売れ残ることを警戒してのことだった。

スキャンダルによるイメージダウンが調査結果でそれほど出ていなかった、欧州や日本で成功を挙げたうえで、北米に凱旋したいという意向があった。

大型会場を長期に押さえることは通常は難しいが、O2アリーナは興行主であるAEG社が所有している。そのため、50回もの公演の調整が可能だったのである。

O2 Arena(Photo by Tom Shaw/Getty Images)
O2 Arena(Photo by Tom Shaw/Getty Images)

では何故、50回にこだわったのか。

その理由は、マイケルと同様、処方薬中毒で2016年4月に急死した、プリンスの存在であった。

世界的なアーティストの優位性は、NFL(米ナショナル・フットボール・リーグ)の優勝決定戦「スーパーボウル」のハーフタイム・ショーに招かれ、高い評価を得ることによって不動のものとなる。

そのきっかけになったとも言われているのが、93年のマイケルの出演だ。演出、ダンス、歌唱全てにおいて世界中の視聴者を圧倒し、King of Popとしての存在を確立。その後、多くのトップアーティストたちが出演したものの、誰もマイケルの評価を上回ることはなかったと言っても過言ではないだろう。

スーパーボウルのハーフタイムショーでパフォーマンスするマイケル・ジャクソン(Photo by Steve Granitz/WireImage)
スーパーボウルのハーフタイムショーでパフォーマンスするマイケル・ジャクソン(Photo by Steve Granitz/WireImage)

しかし、2007年のマイアミでの大会で、プリンスが豪雨の中、完成度の高いショーを熱演したことで、マイケルの優位性が脅かされた。

そしてプリンスは、その年の8月から9月にかけて、O2アリーナで同じくAEG社が興行元となり、「The Earth Tour: 21 Nights in London」を公演した。チケットの価格を低めの31ポンドに抑えた効果もあり、42万席を完売していた。

よって、マイケルは「King」として絶対に、プリンスの倍以上の成功をロンドンでもたらし、その後のワールド・ツアーに繋げる必要があったのである。

プリンス(Photo by Claire Greenway/Getty Images)
プリンス(Photo by Claire Greenway/Getty Images)

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文=北谷賢司 編集=宇藤智子

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