そこで語られた、「稲盛和夫が初めてJALにやってきた日」のことを、再掲載しお届けする。
評論家社員を変えた操縦術
がらんとしたその一室は、JAL社内で、「大部屋」と呼ばれている。壁には稲盛和夫の筆による「謙虚にして驕らず。さらに努力を」の額があり、社長や役員の机が並ぶ。ここに、土日になると、社長の植木義晴がひとりで現れては、机上の書類をシュレッダーにかけているという。わざわざ書類の裁断のために出社するのかと問うと、植木は煙に巻くように笑う。「1週間分の書類を、最低でも10分の1まで減らしてます。捨ててニンマリして帰る。これがうれしいんですわ」
この地味な作業が、実はJALの変貌と無縁ではない。
2010年の会社更生法適用後、2年で営業利益2000億円のV字回復を遂げると、当時の会長だった稲盛が社長に大抜擢したのが植木だった。パイロット歴35年の元機長。「57歳で役員に就任するまで、財務三表を見たことがなかった」という遅咲きの経営者である。それでも彼が、「いまからでも勝負できる」と思ったのは、フライトと地上の組織の操縦法に違いがあると気づいたからだ。
まず、「時間の観念」である。
「地上では、最高の結果を出すためにどれだけの時間が必要かを考えがちですが、パイロットは違います。限られた時間内にどこまでのことができるか。Time is moneyではなく、life。命そのものなのです。例えば、フライト中にトラブルが起きると、状況を認識して判断し、優先順位をつけて実行する。NASAの調査では平均2〜3分で遂行するそうですが、その間にも状況は変わり、判断を変えなければならない。最初にこう決めたからといって変化に対応できないと、事故に至るのです」
判断する際、知識は多いほどプラスになると思われがちだが、植木はその「足し算」型の考え方が危険につながると言う。
「離陸をした直後にエンジントラブルが起きたとします。そのとき、知識を詰め込んだ人は、答えを知識の箱から探し出そうとする。でも、状況を打開できる知識を探し出せなかったら、どうなります? 何万という知識を頭に詰め込んでおくことは必要です。しかし、操縦席で役に立つのは、それを千くらいに絞り込み、知識を“知恵”に変えておくことなのです。知恵はどんな場面にも応用できるからです」