中道:日本人は一歩踏み出すことが苦手という印象があります。20歳となれば、成人としてすべてが自分の責任となる年でもあります。期待もあれば不安もあったのではないでしょうか。
松嶋:子どもの頃からサッカーをやっていて、高校はサッカーの強豪校に入学しました。周りからすれば、「お前、そこに行くの?」と驚かれるほどで、そこですでに一歩踏み出していた感じです。高校卒業後に福岡から東京の専門学校に入学したのも、国内ではありますが海を越えているので、人によっては勇気がいる行動と言えるかもしれません。
そして、そうやって一歩踏み出して厳しい環境に飛び込めば、成長できることを実体験として得られていました。だからフランスに渡るときも、日本という枠を超えて、海外に出た方が得るものが大きいと感覚的にわかっていました。
それと、サッカーに明け暮れた学生時代から、日本サッカーと世界のサッカーでは常識が違うと耳にしていたように、日本人の考えるフランス料理とフランス人の考えるフランス料理は全く異なると聞いていました。それなら、フランス人と同じ感覚を身につけるには、できる限り早く海外に出なければいけないとも感じていました。
「あとは勇気さえあれば何とかなる」と、とにかく飛び込んだ形なので、当時を振り返れば若気の至りとしか言えないですね。ただ、日仏の違いに気がつける環境で働けていたのは大きかったと思います。
中道:僕もイギリスでサッカーをしていたのでわかりますが、日本と海外では同じスポーツでも考え方は全く異なりますね。
松嶋さんは実際にフランスに渡ったあと、自身のレストランを出して、ミシュランの星も獲得しています。プロフィールだけを読めばトントン拍子に感じられますが、かなりの苦労があったのではないでしょうか。
松嶋:出店に関しては、外国人の条件もあったりるすので、弁護士を雇ったり、実際にすでに出店している日本人を訪ねて話を聞いたり、情報は集めるだけ集めました。そして、できるとわかった瞬間、たとえほかの人とやり方が違っても迷うことなく前に進めました。
僕は点と点を繋ぐのが好きで、調べるのは緻密に、やるときは大胆にというやり方なので、トントン拍子だと見られがちなんだと思います。自分では、“石橋を叩いて渡るタイプ”だと思っていますが。
中道:点と点を繋ぐことに関しては、実は僕の会社も行動指針として「コネクティング・ザ・ドッツ」を掲げています。プロデュースの仕事が多いので、人と人を繋いだり、ブランドと人を繋ぐことで学びや発見があるので、松嶋さんの考えはよくわかります。