日本は戦前「零戦」をはじめとした数多くの航空機を製造し、航空機大国の地位にありました。
しかし、第二次世界大戦で敗戦後、再度軍備されることを危惧したGHQにより航空機の製造が禁じられてしまいます。飛行機設計のために蓄積されてきた図面などの技術的財産を焼かれ、飛行機の研究や教育まで禁止されてしまったのです。
転機となったのは1952年。サンフランシスコ講和条約により日本で航空機の製造が一部解禁されたのです。そして1954年には「国内航空機計画」が通商産業省(現経済産業省)の監督下で開始されます。
この計画にはジブリ映画「風立ちぬ」のモデルにもなった零戦設計者、堀越二郎氏を始めとした日本の名機の設計者たちが集結しました。そして、彼らにより戦時中のノウハウが組み込まれたYS-11が完成したのです。
YS-11はその後日本各地の旅客便で活躍し、戦後復興の象徴となりましたが、累積赤字により惜しまれつつも1973年に生産を終了しました。
現在国内では民間機として使用されていたYS-11の機体は全機引退していますが、航空自衛隊などの政府機関では改修を重ねて第一線で活躍している機体もあります。
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