つらいなら「笑おう」 ポジティブへ変換し大記録に達したGK


サイズの小ささを補ってあまりあるアジリティーの高さを生かしたセービング、素早いステップワークが無失点試合の積み重ねを支えてきた。それでも、まだまだ突き詰められる領域があると知った西川の瞳はサッカー少年のように輝いている。

日本代表に話を戻せば、17年に入りリザーブに回った西川は、同年11月のヨーロッパ遠征を最後には招集すらされなくなった。浦和が開幕から不振に陥り、夏場にペトロヴィッチ監督が解任され、自身の無失点試合も4に終わったシーズンだった。所属クラブの成績が代表につながると位置づけてきただけに、代表戦出場が31で途切れたまま、2018年のロシアワールドカップ出場も逃す現実を受け入れた。

しかし、笑顔を介してチームへ安心感を届けるゴールキーパーとして掲げる理想の立ち居振る舞いだけは忘れずプレーに向き合った。迎えた昨年3月。努力が報われる。

広島時代に連覇を達成したときの指揮官、森保一監督率る日本代表へ、約3年4カ月ぶりに招集された。代表戦には出場しなかったものの、歩んできた道は間違っていなかったとばかりに、西川は胸中に秘めてきた覚悟を明かしている。

「一人の選手として、一番上に位置する日本代表を目指すのをやめたときが、サッカー選手を辞めるときだと思っている。僕自身、選手としてまだまだ上手くなりたいし、人としても成長したい。代表を目指す思いがモチベーションを上げられる要因になってきた。日本代表の試合や結果は常に見ていたし、どのような選手が選ばれているかはチェックしていた。若いキーパーがたくさん出てきているし、まだまだ負けられないという気持ちを抱きながら、僕にできるベストをピッチの上で表現していきたい」

ベテランとして生き残るというよりも、若手と切磋琢磨しながら昨日よりも今日、今日よりも明日と少しずつ成長していく自分を追い求めてきた。その過程で刻んだ「170」という快挙も通過点であり、8月に入って零封試合を一つ積み重ねた。だからこそ、西川は自らに言い聞かせるようにこう語る。

「ゴールキーパーとしてたくさんミスもしてきたし、それが失点につながったプレーもあった。そこから学ぶことを絶対に忘れずにこれまで戦ってきた。若いときに経験した大怪我からも学び、怪我をしない体作りを意識して、一日一日を考えながら過ごしてきた。試合が終わればしっかり栄養と睡眠をとって、次の日からいいトレーニングを積み重ねながら次へ準備していく。それが何よりも大事だと思っています」

目線を常に高く掲げ、ミスをしても、あるいは思うような結果を手にできなくても下を向かない。むしろ落ち込みそうになるときこそ笑顔に。前に誰もいない領域を歩み始めた西川のぶれない生き様は、いぶし銀の輝きを放ちながらまっすぐに伸びていく。

文=藤江直人

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事