つらいなら「笑おう」 ポジティブへ変換し大記録に達したGK

photo by Gettyimages / Etsuo Hara - JL


横っ飛びすれば決まって痛いし、体のどこかにあざができる。フィールドプレーヤーよりもユニフォームが汚れるので母親に迷惑もかける。それでも相手のシュートを止め、試合に勝つたびに仲間から受ける祝福がいつしか快感に変わっていった。
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キーパー西川は、高校進学とともに大分トリニータの下部組織に加入。05年からはプロ契約を結び、デビュー2戦目だった同年7月6日の柏レイソル戦で、初となる無失点試合をマークした。

09年シーズンまで5年間所属し34の無失点試合をマークした大分時代に、西川は座右の銘を「笑う門には福来たる」に決めたという。自分自身を含めたチーム全体に、笑顔はポジティブな力を生み出すからと、出演した地上波のサッカー番組で明かしている。事実、フィールドでの西川の笑顔はよく目立つ。

広島に移籍した10年シーズンからは、練習で両足に着用するレガースに座右の銘を表す四文字熟語の「笑門来福」を記した。リーグ戦を連覇した12、13年のシーズンに大きく貢献した西川は、日本代表にもコンスタントに招集され続けた。
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笑顔だけではない。代表戦のグループリーグでは3試合をベンチで見届けたものの、浦和に移籍した14年シーズンにはブラジルワールドカップに臨む日本代表メンバーに選出された。所属クラブと代表とで西川を支え続けたのは「190センチのキーパーにはない武器」だった。

最大のそれは、フィールドプレーヤーと遜色のない卓越した足元の技術だ。大分の下部組織時代では「直接フリーキックを決めるゴールキーパー」として名を馳せた西川。広島在籍時代に現在へ至るプレースタイルを確立させる。攻撃的なスタイルを志向した広島のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)が求める「組み立てにも加われる」キーパーに西川は完璧に合致した。ミシャの愛称で知られる指揮官は翌年限りで退団したが、浦和で再会を果たすことになる。

そして、西川のプレーで思わず見惚れてしまうのが、左足から放たれるパントキックだ。ボールをキャッチするやいなや、小さなモーションから低くて鋭く、それでいて美しい弾道のパスを味方へ通す。

ここで見逃せない事実がある。実は西川は右利きだ。十代から繰り返してきた自主トレーニングを介して、左足でも遜色なくボールを蹴れるキーパーへ変貌を遂げる。この両効きのメリットが11人目のフィールドプレーヤーとして攻撃の組み立てに加われる原動力になっている。

スーパーコーチとの出会い


在籍9年目を迎え、キャプテンを拝命した今シーズンの浦和では、36歳にして「自分のなかに新しい風を吹き込んでもらっている」と屈託なく笑う。視線の先には新任のゴールキーパーコーチ、スペイン出身のジョアン・ミレッ氏がいる。

ミレッ氏はバスク地方の小さなクラブ、ゲルニカで00年シーズンから12年間にわたり、ゴールキーパー育成コーチとしてアカデミーからトップチームまでのすべてのキーパーを指導。優秀な人材を次々と輩出し、いつしか「カリスマ」と呼ばれる。

2013年から活躍の舞台を日本へ移した61歳のミレッ氏の指導について、「ゴールキーパーの考え方を変えていかないといけないと、あらためて感じさせられている」と、西川。さらに、これまでに出会ったすべてのゴールキーパーコーチに感謝の思いを捧げた上で、一つの理想に到達していると言う。

「僕の長いサッカー人生で、これまでのゴールキーパーのやり方を一度リセットしています。たとえシュートを止めたとしても、『止め方』や『もっとこうした方がよかった』と常に追求しているし、相手にとってビッグセーブに見せてしまったプレーすらも反省材料にする。ゴールキーパーの考え方は奥が深いと毎試合のように感じています」
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文=藤江直人

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