2015年の日本国内での事業発足に伴い、広報・人事マネジャーとして参画した井川だったが、採用や店舗設計、物流、製造部門の立ち上げなどにも携わるなか、創業者であるジェームス・フリーマンから熱烈なオファーを受け、日本法人の代表に抜擢された。
味はもちろん、店舗の内装や青色のロゴデザインが人気を博し、いまや国内で25店舗にまで拡大したブルーボトル。井川はどのように創業者の想いを形にし、日本市場への浸透を実現させたのか。
「便利な存在」からのスタートでも良い
──日本での事業はブルーボトルの完全子会社として始まりました。ただ、日本展開にあたってはライセンス契約の持ちかけなど、多数の引き合いがあったそうですね。
はい。ですが、「日本で流行らせるには、ここを変えたほうがいい」といった話から始まることが多く、ジェームスがやりたかったことと乖離していたそうです。
本質を理解せずにローカライズしても、ブルーボトルではなくなってしまう。それは避けたかったので、ジェームスの考えを体現する黒子であろうと意識しながら、ローカライゼーション、オペレーション構築を進めました。
──ジェームス氏の思いや思想を読み取るうえでの工夫は。
最初のステップは自己開示です。信頼関係が築けていない状態では、何を意見してもうまくいきません。自分はどんな人間で、どんなスキルがあるのか。当時の私には、海外ブランドを日本展開するためのローカライズの経験・知見はありましたが、コーヒーについては詳しくなかったので、分からないことは知ったかぶりをせず「教えてください」と正直に伝えるようにしていました。
ジェームスの想いの深い部分を理解するうえでは、創業の理由、どんな体験をお客さまに届けていきたいのかを知るため、多くの時間を共有したんです。
ただ当時の私は、忙しいジェームスにとってアポイント相手の一人に過ぎません。そこで、日本視察の通訳をかって出たり、来日した際には喫茶店や、話題のコーヒー店、美術館やレストランなどに一緒に行き、共に体験することを心がけていました。時間を共有すればするほど、彼の選択や嗜好から価値観が見えてきます。対話以上に、体感したことの方が、その後も役立ちましたね。
最初は、“資料を作ってくれる”とか、“会議の調整をしてくれる”といった便利な存在くらいのスタートでもいいのだと思います。最初の数カ月は、そのスタンスでいました。
あえて話題作りはしない
──2010年、アンティ・アンズ(米国発のプレッツェルチェーン)日本上陸の際のPRを担当されました。その経験も活きましたか?
活きた面と反省点、それぞれあります。当初プレッツェルは知名度が低く、知っていても「ドイツの硬くてしょっぱいパン」というネガティブなイメージが大半でした。