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2022.09.13 08:00

ブルーボトル日本展開の裏側 根強いファンはなぜ生まれたのか

井川沙紀(撮影=林孝典)

リーダーの想いを言語化し、組織や顧客に伝えていく「情熱の通訳者」に迫る連載。今回取り上げるのは、2002年に米国で創業した「ブルーボトルコーヒー」の日本展開を支えた井川沙紀(いがわさき)。

2015年の日本国内での事業発足に伴い、広報・人事マネジャーとして参画した井川だったが、採用や店舗設計、物流、製造部門の立ち上げなどにも携わるなか、創業者であるジェームス・フリーマンから熱烈なオファーを受け、日本法人の代表に抜擢された。

味はもちろん、店舗の内装や青色のロゴデザインが人気を博し、いまや国内で25店舗にまで拡大したブルーボトル。井川はどのように創業者の想いを形にし、日本市場への浸透を実現させたのか。


「便利な存在」からのスタートでも良い


──日本での事業はブルーボトルの完全子会社として始まりました。ただ、日本展開にあたってはライセンス契約の持ちかけなど、多数の引き合いがあったそうですね。

はい。ですが、「日本で流行らせるには、ここを変えたほうがいい」といった話から始まることが多く、ジェームスがやりたかったことと乖離していたそうです。

本質を理解せずにローカライズしても、ブルーボトルではなくなってしまう。それは避けたかったので、ジェームスの考えを体現する黒子であろうと意識しながら、ローカライゼーション、オペレーション構築を進めました。

──ジェームス氏の思いや思想を読み取るうえでの工夫は。


最初のステップは自己開示です。信頼関係が築けていない状態では、何を意見してもうまくいきません。自分はどんな人間で、どんなスキルがあるのか。当時の私には、海外ブランドを日本展開するためのローカライズの経験・知見はありましたが、コーヒーについては詳しくなかったので、分からないことは知ったかぶりをせず「教えてください」と正直に伝えるようにしていました。

ジェームスの想いの深い部分を理解するうえでは、創業の理由、どんな体験をお客さまに届けていきたいのかを知るため、多くの時間を共有したんです。

ただ当時の私は、忙しいジェームスにとってアポイント相手の一人に過ぎません。そこで、日本視察の通訳をかって出たり、来日した際には喫茶店や、話題のコーヒー店、美術館やレストランなどに一緒に行き、共に体験することを心がけていました。時間を共有すればするほど、彼の選択や嗜好から価値観が見えてきます。対話以上に、体感したことの方が、その後も役立ちましたね。

最初は、“資料を作ってくれる”とか、“会議の調整をしてくれる”といった便利な存在くらいのスタートでもいいのだと思います。最初の数カ月は、そのスタンスでいました。

ブルーボトル六本木カフェ

あえて話題作りはしない


──2010年、アンティ・アンズ(米国発のプレッツェルチェーン)日本上陸の際のPRを担当されました。その経験も活きましたか?

活きた面と反省点、それぞれあります。当初プレッツェルは知名度が低く、知っていても「ドイツの硬くてしょっぱいパン」というネガティブなイメージが大半でした。
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文=井澤梓 編集=露原直人

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