これで魂は込められるのか? 僕の執筆用最新テクノロジーを公開する

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グーグルカレンダーは、「インフォデミック 巡査長 真行寺弘道」と「コールドウォー DASPA 吉良大介」をほぼ同時に執筆するときに役に立った。これも作品別に専用のカレンダーを用意して、その日に報道されたリアルな世界のニュースと「真行寺弘道」「吉良大介」という2人の主人公の足跡を記録していく。


左:「インフォデミック 巡査長 真行寺弘道」 右:「コールドウォー DASPA 吉良大介」

クリックひとつで、真行寺のカレンダーだけを見ることも、吉良のカレンダーだけを見ることも、2人同時に重ね合わせて見ることが可能だ。こうすることによってふたつのフィクショナルな物語の流れとリアルワールドで起きた出来事の相関を確認できるというわけである。

なお、これらのカレンダーや地図には校正者と編集者を招待して閲覧できるようにした。本当は4日前なのに1週間前などと書いてやいないか、1時間かかるところを30分としていないかなどのチェックに役立ててもらったわけである。編集者から聞いたところによると、校正を担当してくれた人からとてもありがたかったと言われたそうだ。

こんなことを書いていると、そんなふうにテクノロジーを駆使していては文章に魂がこもらない、などと批判が聞こえてきそうである。はじめてワープロで書いた小説家は安部公房氏だったが、この時も文体が変わってしまったなどという批評があったのを覚えている。

もっとも、最近では「あの人はワープロなんかで書いているから小説がつまらない」という根拠なき批判はほとんど見かけなくなった(ゼロになったわけではありませんが)。

正直に言えば、この世にワープロというものがなかったら、この世にエレキギターがない世界でジミ・ヘンドリックスがギタリストにはなれなかったように、僕は小説を書けなかっただろう。

ただ、そんな僕でも手書きで書く場合がある。それは人の話を聞くときだ。ウェビナーに参加したり、大学の特別講義に出かけて聴講したりするときは、A4の大きなノートを広げて手書きする。また、資料などを読んでメモを取るときは、音声入力にするときもあれば、手書きにすることもある。

手で書くという行為は、音声入力とは逆に「遅くなることの効用」があるように感じられるが、これはまた別の機会に書きたい。

机の上を整理して、手を洗ってからディスプレイの前に座ると、宇宙船のコクピットにでもいるような気分になる。それから、さあここから集中だと気合を入れて(入らないことも時々あるが)、書き始めるのである。

文=榎本憲男

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