このような場合、たいていは作品の構成を組む(あるいはそれが行き詰まった)段階で、ライターや監督やプロデューサーが一堂に会して、あーでもないこーでもないと言いながらおおよそのプロットを練り上げていくということが多い(これを「箱を組む」とも言う)。
「世界のクロサワ」黒澤明監督は、この方法を好んだと聞く。一線どころの脚本家を何人も集め、それぞれが絞り出したアイディアを黒澤がまとめていく。総力戦である。
もう1人の日本映画の巨匠である小津安二郎には、野田高梧という小津作品には欠かせない脚本家がいた。小津は野田と山荘に2人きりでこもり、寝食を共にし、朝から酒を飲みながら1日中あれこれと議論しながら、ちびちび書いていったそうだ。
このようなやり方は、予算の都合上、小規模な作品だとなかなか難しい。なので低予算映画ばかりを撮っている監督や脚本家には、旅館や山荘にこもるという行為自体に憧れる人がいる。
けれど、考えてみると、これはかなりきつい作業なのではあるまいか。少し前のことではあるけれど、あるプロデューサーに頼まれて映画のストーリーの構築を手伝ったことがある。その時に「箱根かどこかに旅館を取るので一緒に籠りましょうか」と言われた。
箱根に泊まり、温泉に浸かって美味しいものを食べる、このこと自体は魅力的ではあるけれど、プロデューサーと一緒に部屋で呻吟しているなんて、あまり楽しそうではない。結局、自分の部屋でプロットを書いてメールで送った。
ノートパソコンでは書けない
僕が小説を熱心に読むようになった高校生のころは、小説家というのは締め切りに追われると、ホテルで缶詰になるという人が多かった(少なくともそういう印象を受けた)。
こちらは別に編集者と一緒に寝泊まりしているわけではなさそうだから、締め切り以外は、あまり窮屈な印象はない。なかなか優雅で楽しそうだ。それに、締め切りに追われてホテルに缶詰というのは、いかにも売れっ子めいていて、かっこいい、僕も一度はやってみたいとこちらはミーハー気分で思ったものだ。
ところが、思いがけず自分も小説家と名乗るようになって、ホテルに籠もって書くことを想像すると、いやいやとても書けないなとぞっとするようになった。
僕は連載を持ったことがなく、ずっと書き下ろしでやってきたので、書き始める時は、締め切りはかなり先に設定されていて、それなりのペース配分で書いていけたので、これまでのところ本気で焦ったことは一度しかなかった。
なので、締め切りに追われてホテルに缶詰というパターンは生じなかった。ただ、取材旅行先や、別の仕事で遠方に出かけたときに、宿泊しているホテルでノートパソコンを打つ(時には列車の中でも)ことはちょいちょいあったし、いまもある。
そういう時に感じるのは、例えば1週間にもわたってホテルに缶詰になったらとても書けないだろうなという実感である。