まだ誰も使ったことのない薬
治験の運営に悩み、患者の治療に悩み、家族の問題にも苦悩するマットは、折々に、病院の外の空気を吸いに出る。随所に登場するマンハッタンの風景は、仕事や観光でニューヨークを訪れたことのある読者にとって、これは現実の話なのだとハッとさせられる要素にもなるだろう。本書後半では、同じマンハッタンの街で進められてきた感染症研究がいくつか紹介される。いずれもマットが勤務するニューヨーク・プレスビテリアン病院の近所にある有名な研究所での出来事だ。マットも実際に足を運び、研究者本人から詳しい話を聞いている。抗菌薬開発の最先端の話は、マットにとっても私たち読者にとっても、希望の光のように感じられる。
ようやく治験後期(投与試験)が始まると、実際に患者に薬を投与し、治療の経過を改善できるかどうか確かめていく。マットは再び、条件に合いそうな患者と面談し、さまざまな人生の機微に触れることになるが、それでも、前期の観察試験とは異なり、今回は条件に合う患者からインフォームド・コンセントが得られれば、その薬をすぐに投与することができる。目の前の患者を治療できるかもしれないのだ。しかし、本当に効くかどうかは、投与してみなければわからない。まだ誰も使用したことのない薬の「候補」を使うことに同意してくれる患者を探すのは、そう簡単なことではなかった。マットの物語がどのように締めくくられるのかは、本編でお楽しみいただきたい。
本書の翻訳をご依頼いただいてすぐのころに、私はツアー旅行でニューヨークを観光した。帰国後にこの本を訳すことを意識して歩き回ったので、マンハッタンの街の様子がしっかりと記憶に残っている。まだ新型コロナウイルスが登場する前のマンハッタンだ。今、あらためて、一日も早くあの日常が戻ってきてほしいと願っている。そして、このような感染症の世界的流行が繰り返されることのないように、スーパー耐性菌の蔓延を阻止するために何が必要なのかを、本書を通じて多くの人に知ってもらえたなら幸いである。
Matt McCarthy(マット・マッカーシー)◎医師、ワイルコーネル医科大学院助教授。ニューヨーク・プレスビテリアン病院では倫理委員会の一員であり、勤務医として働く。これまでの著書に、マイナーリーグでのプロ野球選手時代について綴ったOdd Man Out: A Year on the Mound with a Minor League Misfit、研修医時代を綴ったThe Real Doctor Will See You Shortly: A Physician’s First Year がある。
超耐性菌:現代医療が生んだ「死の変異」(マット・マッカーシー 著、久保尚子 訳、光文社刊)