熱戦の舞台となったのは大阪の豊中グラウンド。地区予選を勝ち抜いた9校と春に行われた東京の大会で優勝していた早稲田実業学校を合わせた10校が優勝を目指して戦いました。優勝をしたのは京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)、延長13回までもつれこんだ末にサヨナラで試合を決めています。
大会後、京都二中が凱旋した際に京都市内では優勝パレードが行われたそうです。「京二中野球部記」に「非常大歓迎ヲ受ケ七条駅ハコレラノ人ヲ以テ充タサレタリ」と周囲の熱狂ぶりが記されています。
第4回大会が米騒動で中止になるなど紆余曲折ありながらも、1927年にラジオでの実況放送が始まったこともあり、大会は徐々に夏の風物詩となっていきました。戦争による中断をはさみ1946年に大会が再開されると、1947年には参加校数が1000校を突破。翌1948年、戦後に行われた学制改革の影響で現在の全国高等学校野球選手権大会に大会名が改称されました。同年、大会歌である「栄冠は君に輝く」も制定されています。
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