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2022.08.08

「そのときある物で試せ」アポロ13号のクルーが教える教訓(その2)

NASA


SS
フレッド・ヘイズ(左)とゴードン・フラートン。試験飛行のあった1977年9月23日に撮影。 photo NASA

1977年10月26日のエンタープライズの最終試験飛行で、ヘイズ氏とパイロットのゴードン・フラートン氏は重要な発見をする。
シャトルに動作を指示してから操縦システムが反応するまで、制御システムにタイムラグがあったのだ。このときに発生した振動は着陸時に危険を及ぼす可能性があり、1981年にコロンビア号が宇宙へ飛び立つまでには、(F-8戦闘機から借用した)ソフトウェアでこの問題を解決する必要があった。

ヘイズ氏とチームは入手可能な装備でシミュレーションを行ない、専門家の意見を聞き、シャトルがフリーフライトをするときに経験豊富なパイロットが操舵したのだから、「プログラム自体はすべての主要目標を達成したのだ」と強調した。このプログラムは、シャトル内で複数のコンピュータを同時に動作させる初期の取り組みなど、技術の限界に挑戦したことは確かだ(コンピュータの性能と適応性が現在よりはるかに低かった時代の挑戦だ)。

技術的な課題はあったものの、アプローチと着陸のテストは早期に終了し、ヘイズ氏は安全上の大きな問題は最後の着陸のときだけだったと語った。彼は「テストは極めて順調でした。唯一の問題は、滑走路への最後の着陸の際の振動だけでした」という。

ヘイズ氏はこの本の中で、何千人もの観客に注視されていたことを考えると、最後の着陸で振動してしまったことが恥ずかしかったと述べているが、パイロットチーム (4人)が先駆的な仕事をしたとして米航空宇宙局、米空軍、実験パイロット協会から受けた褒章リストを挙げている。

しかし、ヘイズ氏にとって、アプローチと着地試験の中でより価値があったのは、地球の大気圏外での運用という更に難しい挑戦をする前に、スペースシャトルの運用を準備できた点だった。宇宙飛行の準備をしているチームにとって、この着陸プログラムが役に立った点を尋ねられたヘイズ氏は「なにはともあれ、課題を可視化できたのです」と答えた。

次回は、重要な問題を解決するための大規模なチームのマネジメントについて取り上げる。

翻訳=酒匂寛

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