しかも、漱石が費用を出す自費出版という形でした。装丁も漱石自身が手掛けており、「箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉(ことごと)く自分で考案して自分で描いた」と「心」自序で明かされています。
一介の古書店に過ぎなかった当時の岩波書店が、人気作家であった漱石の作品を出版できたのはなぜだったのでしょうか。それは岩波書店創業者の岩波茂雄が、漱石の木曜会によく顔を出していたことに関係しています。
木曜会というのは、漱石を慕う若き作家たちや教員時代の教え子などが漱石山房と呼ばれた漱石宅に集って交流を持ったり、文学などについて論を交わし合ったりした会のことです。自宅への訪問者があまりに多いことから、漱石への面会を木曜日午後3時からに限ったことに端を発しています。
茂雄は木曜会への参加を通じて漱石の門下生ともいえる存在になっていたのです。画家の津田青楓が描いた「漱石山房と其弟子達」にも弟子の1人として茂雄の姿が描かれています。癇癪もちだったとして知られている漱石ですが、自分を慕う若者たちへの面倒見はとても良かったのだとか。実は、岩波書店開業時の看板の字も漱石の書によるものでした。
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