何が問題なのか? 例えば、会議で長話をしてしまったというような違反であれば何も問題はない。しかし、この言葉を発したのは、顧客が支払った火葬を行う代わりに、死体から体の一部を盗んで販売した罪に問われている葬儀社の社長なのだ。
この不愉快な話から、謝罪とは何かそして何が謝罪ではないのかについて考えよう。まず、典型的な悪い謝罪の例を見てみよう。
悪い謝罪の例とその理由
「気分を害されたのなら、申し訳ありません」。問題は敏感すぎる相手の方だ。それは事実かもしれないが、ときには、怒らせた方の人間が何をしたかに問題がある場合もある。もし自分が悪いことをしたと思っていないのならなぜ謝るのか?
「間違いがあった」。この有名なごまかしは、ユリシーズ・グラント、リチャード・ニクソン、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、ジョー・W・ブッシュといったアメリカ大統領を含むさまざまな政治家が使ってきたものである。受動態を使い、問題の核心にいる人、つまりあなたから責任を遠ざけている。
「申し訳ありません、しかし、私がそれをしたのは……」。自分がしたことの理由を説明しようとすることは、それを正当化しようとすることだ。聞き手はそのように受け取る。相手が求めない限り、理由を述べることは倫理的に理に適っていない。そして、おそらく相手は理由を尋ねないだろう。
悪い謝罪の例は他にもたくさんあるが、そろそろうまくいく謝罪の要素に目を向けよう。
倫理的知性を備えた謝罪の仕方
すぐに行う。時間が経てば経つほど、謝罪の説得力は失われていく。ほとんどの場合、謝罪に遅すぎるということはないが、できるだけ早く勇気を出して謝罪するのが一番だ。
責任を分担しない(他人のせいにするともいう)。多くの倫理的問題にはグレーゾーンがあるが、良い謝罪はその1つではない。あなたがミスをしたのか、していないのか、どちらかだ。ミスをした結果を受け取る側にとっては、他の誰がどのような役割を果たしたかは、通常、重要ではない。相手側が「他に誰が関わっていたのですか」と尋ねない限り、意味のある謝罪とは1人で責任を取ることを意味する。それだけだ(状況によっては、他に誰が関与していたかを明らかにすることは不適切だ)。
許しを請う。これは2つの有益なことをする。あなたの謙虚さを明らかにすること、そして間違ったことをされた人に力を移すことだ。
あなたがしたことに合った言葉を使う。報酬を受けたサービスを行う代わりに遺体の一部を盗んで売ったことで非難された例の葬儀屋は、自分のしたことを矮小化するような謝罪をしている。法律学では「公正な罰とは、犯罪に見合ったものである」という。謝罪の仕方も同じだ。
結果を受け入れる。行動には結果がともなう。その結果は、私たちが犯した過ちによって異なるが、責任ある人は、それがどのようなものであっても受け入れる。
二度と同じ過ちを繰り返さないよう、用心する。私たちは自分に完璧を求めることはできない。しかし、私たちをトラブルに追い込んだのと同じ過ちを犯さないように努力することは、妥当な目標だ。
行動の呼びかけ
今回の葬儀屋の謝罪でない謝罪は、適切に謝罪することの重要性を再認識させるものだ。私たちは、以下のような謝罪はしない方がよいだろう。
・「ご気分を害されたのなら、申し訳ありません」
・「間違いがありました」
・「申し訳ありません、でも私がそうしたのは……」
賢い謝罪は、以下のようなものだ。
・早く謝罪する。
・他人のせいにせず、責任をとる
・許しを請う
・結果を受け入れる
・過ちを繰り返さないように最善を尽くす
どれも簡単なことではない。もしそうであるなら、誰もができていて、このようなコラムは必要ないはずだ。しかしこのコラムは必要なのだ。