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2022.07.31 17:00

ひとり出版社の里山社が福岡から見つめるもの。「記憶のふるさと」を求めて


清田は大学で映像芸術学を学んだ後、東京の編プロや出版社など数社で編集のイロハを学んでいる。会社員時代の彼女は、多くの編集者がそうであるように、締め切りに追われては、目の前の仕事に忙殺される日々を過ごしていた。

大学の卒論で、文字で表現をするということに開眼し飛び込んだ出版の世界。その時々のポジションで与えられた仕事にやりがいを感じてはいた。しかし、自分が本当に心の底から好きだったもの、揺さぶられるものは何だったのか。年々忙しさが増していくなか、それがわからなくなっていったのもまた事実だった。



気がつけば学生時代は遠く、まるで孤独なスイマーのように、果てしない日常という名の海を泳いでいる。ほんの一瞬だけ水面から顔を出しては、急いで息を継ぐ。当時職場のあった新宿のカラフルなネオンが目を刺すように刺激し、やがてその残像はまぶたの裏で色を失っていく。

「私はどこへ向かっているのだろう」そんな思いが湧き上がっては、泡となりついには消えていった。

自ら出版社を立ち上げる


里山社という出版社を立ち上げた理由を「1つの事柄に集約することは難しい」と清田は言う。けれど詳しく話を聞くと、その誕生のきっかけは、写真家・田代一倫の写真との出会いを抜きには語れないとも考えられる。

田代の「はまゆりの頃に」と題されたシリーズは、東日本大震災後に現地入りし、そこで生活する人々延べ1200人以上を「写し」「記録した」膨大なポートレート集だ。

清田は、東日本大震災という比類なき事象に、ひとり静かにひたむきに迫ろうとする田代の作品群を目の当たりにした時、打ちのめされるような衝撃を受けたという。「これは世に出さねばならない」と気づいた時には、田代に写真集の編集を申し出ていたという。

しかし実際に出版に向けて動き始めると、このような種類の本、つまりページ数が極端に多く、フルカラーで、しかも新人作家の写真集、これを既存の出版社で刊行するのは不可能に近いということを思い知らされる。

自らの思いと現実との間に大きく深い谷があった。そのあまりの深さに恐れを抱くと同時に、ここに橋を架けないと自分はもうこれ以上、前には進めないと悟った。
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文・写真=長井究衡

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