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2022.07.31 17:00

ひとり出版社の里山社が福岡から見つめるもの。「記憶のふるさと」を求めて

里山社代表の清田麻衣子

その日の福岡は雨だった。雨傘を手に地下鉄で久しぶりの天神へと向かうと、移動のわずかな間に雨はやみ、青空が広がっていた。傘を開くことなく空を見上げ、私はかつてのこの街の記憶を呼び起こす。

1本わき道に入り、待ち合わせの海鮮料理店に到着すると、威勢の良い掛け声とともに、笑顔の店員が迎えてくれた。席につくと、ほどなくして彼女も同じく威勢の良い掛け声を受けつつ、暖簾をくぐってきた。

彼女とは、里山社代表の清田麻衣子だ。里山社は2022年2月、東京から福岡の天神へと事務所を移転した。いわゆる「ひとり出版社」で、清田が書籍の企画編集から営業、著者やライター、デザイナーとのやりとりなども含め、基本的には1人で会社を切り盛りしている。

7歳まで過ごした福岡への望郷


私が清田と知り合ったのは随分前のことで、振り返るとおよそ15年もの月日が流れている。当時の彼女は、とある編プロに勤める編集者で、一方の私は会社所属のグラフィック・デザイナーだった。広く捉えれば同じ業界ということもあり、たまに友人を交えて食事をするような仲だった。

その頃から彼女は「いつか福岡へ戻りたい」と思い出したように呟くことがあり、その言葉が妙に印象的で記憶に残っている。それは東京という街に疲れたとか、失望しているといったようなニュアンスではなく、おぼろげながらも幼少期の記憶が残る「福岡」という土地に、何らかの思いとともに自らの次の道筋を見ていたように思う。



清田は生まれてから7歳までを福岡県内で過ごしている。その後、父親の転勤にともない、当時宅地開発が盛んであった横浜市あざみ野へと転居する。路線でいえば、渋谷と神奈川の中央林間を結ぶ田園都市線となる。

しかしながら、子ども心に清田は、福岡時代の伸びやかな環境とは異なる新興開発地特有の均質で整然とした街並み、どこか張りつめたような空気感に戸惑い、違和感のようなものを心から抱え拭えなかったという。

彼女の福岡への望郷というものは、すでにこの時から芽生えていたとも言える。
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文・写真=長井究衡

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