観光とラグジュアリーの未来 雪国の温泉宿「ryugon」の場合

温泉宿 「ryugon」


ただ、こうなると、ぼくたちはどうしても「観光を、お互いの学びの場にしよう」という耳に優しい目標を掲げます。その目標を否定するわけではないですが、こうしたキャッチフレーズにすがってしまう弱さを意識したいのです。そこに生活する人たちの人権や文化アイデンティティを上手くすり抜ける「外面の良さ」を求めることで、自分自身の安心を優先していないだろうか? とふと気になるのです。

それでは何を目指せばいいのでしょう。

堅苦しい表現で恐縮ですが、お互いに知らない人が時と場を共にする意味をひたすら求め、適切な言語を探しあぐねることではないでしょうか。この場面が痕跡として残りやすいのが観光の場ではないか……ということをぼんやりと考えています。見知らぬ男女が恋愛関係におちいり、どうしても一緒にいたいと思う体感を言葉にしたい焦燥感に近いのではと夢想します。

サステナビリティも自分のテリトリー内で自己完結しているのでは意味がありません。自分が住み仕事をしているコミュニティのみならず、旅先でも同じ価値が一貫しているのに満足感を覚えるのです。

ソーシャルイノベーション領域の第一人者でエツィオ・マンズィーニという人がいます。2年前、彼の本『日々の政治』を訳したのですが、この本の冒頭に「ハイパーローカル」という表現がでてきます。物理的に限られた空間でのコミュニティを蘇生するのが現代の社会課題ですが、昔ながらの閉鎖的な村落共同体をふたたび求めるノスタルジーに基づくもののではない、と強調しています。

出入り自由で、かつ距離が遠く離れた他のコミュニティとも繋がっている。それがハイパーローカルの意味するところです。この本を訳しているときは気がつかなかったのですが、ハイパーローカルという概念は新しいラグジュアリーに沿った観光と共通する点が多いです。お互いが公平な立場で双方の文化土壌を視野に入れながら耕していくのが、新しい観光のあり方なのでしょう。その2つが国境を越える時、「インバウンド」という観光用語が登場するわけですね。

連載:ポストラグジュアリー 360度の風景
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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