愛が終わり苦しみが始まる気配を知る方法

メンタルヘルスの研究で、愛というものが本や映画、音楽などのイメージと異なるものであると何度も証明されている


2. 物事の「受け入れ方」が寛大過ぎる


大切な人が、倫理に反した、あるいは有害になり得る行動をとることがある。このような状況では、パートナーにも自分自身にも完全に正直になる必要があるものの、相手を愛するがゆえに、そうできない場合がある。

カナダのトロント大学の心理学者レイチェル・フォーブスは「身近な人が倫理に反する振る舞いをしたとき、私たちは自分の道徳観を守ることと相手との関係を維持することの間で板挟みになって苦しみます」と語る。

フォーブスの調査によると、人は大切な人の非倫理的行為に対応する際に、しばしば深く相反する感情を感じることがわかっている。これはおそらく、人間が愛する人と自己を重ね合わせる傾向にあるためだろう。

この相反する感情の代償は、2つある。

1. 寛大さの副産物として、自分がその不品行の重荷の一部を背負っているように思う。つまり、パートナーの行動に対して当惑したり、恥ずかしい思いをしたり、罪悪感を感じたりする

2. 重要なパートナーは、その振る舞いに対する指摘を受けることがないために、何度も何度も同じことを繰り返すかもしれない、それは度を越した虐待的な関係の原因となる可能性がある

愛する人の誤った振る舞いに対して、正直に話すことを苦しく思いがちの人にむけての、フォーブスからのアドバイスは次のようなものだ。

「親しい人の悪行に直面したときに感じる相反する気持ちは、折り合いをつけることが難しいものです。それでも、愛する人の誤った振る舞いに直面したときに大切なことは、自身の道徳的価値観を振り返って、その行為自体が自身の価値観に合っているかどうかを考えることです」

3. 利害関係で保たれている


私たちが誰かと長期的な関係を選択するのは、普通相手のことを好きだからだ。しかし、(積極的には認めたくないほど多くの場合)他の理由があるかもしれない。たとえば、その人が属する一族の地位や、相手が自分の目標の達成に役立つ度合いや、その他の金銭的・物質的な特典などだ。

誰かをリソースと考えることは完全に間違っているわけではないが、それが人間関係の基盤になっている場合は問題だ。
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翻訳=酒匂寛

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