愛が終わり苦しみが始まる気配を知る方法

メンタルヘルスの研究で、愛というものが本や映画、音楽などのイメージと異なるものであると何度も証明されている

人を愛するということは、欠点も何もかも含めて、全身全霊を傾けて相手を受け入れることだ。誰もが、こうした愛の定義を知っている。長年にわたり、ある種の行動、儀式、シンボルが、永遠の絆という包括的な概念の代名詞となってきた。例えば、結婚という制度やパートナーの評価を行わないことなどだ。

しかし、愛についてのこのような硬直した考え方は、横たわる多くのグレーゾーンを無視することになる。私たちは、自分に害がおよぶ振る舞いを許したり、明らかに問題があるような行動を許容し始めたりするのだ。

愛というものが本や映画、音楽などのイメージとは異なるものであることは、メンタルヘルスの研究によって何度も証明されている。ここでは、親密な関係を堅苦しく捉えすぎてしまう人が陥りやすい、3つのありがちな間違いを紹介しよう。

パートナーのために簡単に自己犠牲を払う


もちろん、ほとんどの人間関係においてなんらかの犠牲は避けられない。そして、もちろんそれは名誉なことだ。しかし、それは常に無私でなければならないのか、あるいは必要なことなのだろうか? 研究結果によるとそうでもないようだ。

心理学者のフランチェスカ・リゲティは「パートナーや人間関係のために自分の利益を後回しにすることは、確かに立派なことです」と説明する。「しかし、私たちの調査では、そうした厚意を与えた側と与えられた側の双方に難しい影響が残ることが分かっています」。

リゲティの調査によると、以下のような影響が残ることが多いそうだ。

1. 犠牲のためには、どうしても自分の好みや目標を進んで放棄する必要があるため、与える側の幸福度は低下する。このため、犠牲は彼らにとってとてもコストの高い社会的行動となる

2. 一方、与えられた側は複雑な心境になる。感謝され、愛され、受け入れられていると感じつつも、同時に罪悪感や負い目も感じるのだ

犠牲は双方に影響を与えるが、女性の方が犠牲を払った後に幸福感が低下する傾向が高い。これは、犠牲が自分の選択ではなく、義務として捉えられることが多いためだ。つまり、関係上の犠牲を払っても、負担に感じることが多く、利点をあまり得られない可能性があることを意味している。

犠牲が人間関係にもたらす苦痛を避けるために、リゲティは次の2つのステップを踏むようにアドバイスしている。

1. フォーカスするものを変える。犠牲を払ったせいで失ったものにフォーカスを当てると、個人的な幸福感や人間関係の満足度が低下しがちだ。その代わりに、犠牲の明るい面を見るようにしよう(例:相手がどれだけ喜んでいるか、自分 / 相手がこの経験から何を学べるか、あるいは自分はこんなに寛大な人間なのだと誇りに思うなど)。

2. 犠牲を払う必要性を再考する。関係を維持するためには、犠牲が必要となることもある。しかし、不測の事態に備えた対策と少しばかりの調整で回避できる場合もある。例えば、パートナーの転職をサポートするために海外に移住することは良いことかもしれないが、自分が望まないときに自分の週末を犠牲にしてパートナーの実家に一緒に行く必要はないかもしれない
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翻訳=酒匂寛

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