ニューロダイバーシティの人たちは障がい者なのか?
よく引用される統計は、世界人口の20%が障がい者であり、15〜20%がニューロダイバージェントであるというものだ。もちろんそれぞれ重複するものだが、この2つは同じではない。重複の程度は、いくつかの大きな推測によるが、実際にはニューロダイバージェントの人々がすべて障がいがあるわけではないことも認識されている。
法律上の障がい者認定は、環境との相互作用や日常的な作業の困難さの程度に依存する。例えば、米国の多くの州では、認知能力の少なくとも1つの領域が下位25%でなければ、ニューロダイバージェントであっても、教育における障がい者保護を受けることはできない。ただし、それでも神経発達疾患と診断される可能性はある。しかし、英国では、長所と短所の差が大きければ、勉強や仕事の状況に応じて、その人の可能性を最大限に発揮できるような支援が受けられる。つまり、世界的に見れば、さまざまな重複が生じているわけだ。
したがって、ニューロダイバージェントの人々が障がい者であると認識するかどうかは、個々の個人的な問題となる。ニューロダイバージェントの人々の中には、より複雑な身体的訴えを持つ人々よりも自分の方が権利を得るのにふさわしくないと感じ、利己的だと感じる人もいる。また、ニューロダイバージェントの人々の中には、日常生活に著しい支障をきたしている人もいる。さらに、ふさわしいという「線」はどこまでなのか、それを決めるのは誰なのだろうか? 難聴はどの時点でろうになるのか? 移動の問題はいつから障がい者の権利として認められるようになるのか? このような会話は、必然的に硬いバリアーとなり、どちらかの側にすぐに疑問符がつくことになる。私たちは、「インかアウトか」という二項対立ではなく、アナログなスペクトルを受け入れなければならないのだ。
法的立場
上記の理由から、障がい者の法的地位は、個々のケースバイケースで解釈されるグレーゾーンを意図的に残している。英国では、身体的または精神的な差異が「通常の日常生活を営む能力に著しい悪影響をおよぼす」かどうかが基準となっている。この基準を満たすためには、通常の日常生活と実質的な悪影響を定義する必要がある。これは、その人が自分のケースを主張し、自分自身の困難を定義する余地を残しているのだ。このような条件のもと、ニューロダイバージェンスは障がいとなる可能性を持っているが、また、障がいとならない可能性もある。それは、ニューロダイバージェンスの人が置かれている経験や文脈に大きく依存するのだ。