地位、名声、持ち金の多さは幸せの指針にならない
そもそもなぜ人は、お金や地位、名声に執着してしまうのでしょうか。
18世紀イギリスの経済学者で哲学者のアダム・スミスは、自らの著作『道徳感情論』で、道徳は理性ではなく感情(本能)の所作であるという興味深いことを述べています。人は他人の表情から危機を察知したり、人の評価を気にしたりすることでより多くの集団生活ができるようにプログラムされており、他人の視線を気にすることは人間の本能であると論じました。
それに加えて動物行動学者リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』や数年前に日本でもベストセラーになった歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』でも、集団で生活することは人間の種を保存し発展させていくことに貢献する一方、個人の幸せにはマイナスの影響があることを論じています。
集団が大きくなると経済の形態も大きく変わります。文化人類学者のマルセル・モースが『贈与論』の中で示した、人間が古来よりもっていた美しい価値交換の形態である贈与の仕組みが消え、取引の効率性をたかめるために貨幣や商品の交換によって営まれる交換経済が主流になります。資本主義の構造を鮮明に示した思想家カール・マルクスも『経済学・哲学手稿』の中で、「自分自身を愛するのではなく、人を愛することで愛される人間になる。人間はそのように愛し合える存在なのに貨幣が入るとそれがストップしてしまう。愛の贈与論的本質が交換の原理によって混乱し転倒される」と述べており、資本主義の発展が個人の幸福度を下げることを示唆しています。
他者評価に執着せず、エネルギー投下を惜しまない
では、資本主義が急激に進展する中で、私たちは幸せになるために何をするべきでしょうか。
世の偉人たちはこの命題に対するヒントを残してくれました。例えば民族学者・人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは『野生の思考(パンセ・ソバージュ)』の中で、心理学者のミハイ・チクセントミハイは「フロー体験」に関する書籍の中で、本能への抵抗こそが幸せの道と論じています。偉人達の研究の中で、個人的には次の2つことを実践することが重要だと実感しています。
1つ目はコントロールできないものは手放し、自らの意思で変えられる取り組みに集中すること。もう1つは物事に能動的に取り組みそのための、エネルギー投下を惜しまないことです。
自分でコントロールできないものの最たるものは、他人からの評価や評判です。人からどう思われているかを気にしたところで評価を下すのはあくまでも相手。いくら気に病んでもコントロールすることはできません。
こうした無益な時間を割くくらいであれば執着はやめ、満足感や「貢献感」を得られる仕事に集中した方がはるかに生産的ですし、心の平安も保てます。
かつてアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーは、祭壇を前にこう祈ったと言います。
「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください」
神に祈るかどうかはさておき、ニーバーの祈りに込められた言葉は、現代人が陥りがちな他者評価のワナからきっと救い出してくれるでしょう。筆者もこの言葉に救われました。