航空業界やロケット開発の話ではない。これはソフトバンクでのエピソードである。
鳥肌が立つほどの感動体験を熱っぽく語るのは、ソフトバンクの先端技術研究所で所長を務める湧川隆次。
冒頭のエピソードは、ソフトバンク傘下のHAPSモバイル株式会社とのプロジェクト。災害時でも途絶えない通信サービスの提供を目指して、成層圏を飛ぶ無人航空機に基地局を搭載して通信試験を実施した際のことだ。より広範囲の地域に高品質な通信を届け、通信格差がない未来づくりに取り組むための手段の一つとして実施したものである。
近年、ソフトバンクでは通信事業の枠を超えるという意味合いを込めた「Beyond Carrier」戦略を掲げ、最先端テクノロジーを活用した新規事業の領域でも革新的な挑戦を続けている。
今回は、そのDNAを色濃く体現する先端技術研究所の取り組みと信念に迫りたい。
研究から事業を生み出し、モバイル事業に続く柱を作る
ソフトバンクの社長直下に、先端技術研究所が置かれたのは2022年4月。それまでは、エンジニア組織の中で「先端技術開発本部」として活動を行なっていた。
これまで「研究所」が無かったのは、ソフトバンクが目指すゴールは研究ではなく事業開発であるため。事業開発の過程で当たり前に研究活動を行なっており、あえて謳うことはしていなかったのだ。では、なぜ今「研究所」という立ち位置を改めて打ち出したのだろうか。
「インターネット接続サービスおよび移動通信サービスを中心に、通信事業は安定してきました。一方で、次の事業の柱を作るフェーズに差し掛かっています。未来への投資をして、新たに仕掛けるタイミングが今でした。
今ある事業の範囲内ではなく、研究開発から事業が生まれるようなサイクルも期待されているので、研究所の形を取ることになったのです」
先端技術研究所では、幅広いテーマで研究開発を進めている。通信分野では、5Gや6Gなどネットワーク技術の進化を研究。成層圏での無人航空機のフライトを実現させたのも、その一環である。
加えて、新しい領域にも乗り出している。その一例が、トヨタ自動車とソフトバンクなどの共同出資会社「MONET Technologies株式会社」と進める、自動運転を活用したモビリティサービスの実用化に向けた取り組みだ。
自動運転の車は“ソフトウェアの塊”と言われるほどに、運行には通信が欠かせない。例えば、自動運転で重要になる「今どこを走っているか」という位置情報の認識。これはGPSではなく、「LiDAR」と言われる“物体との距離を測定して障害物を回避するセンサー”を用いて行なわれている。
先端技術研究所が、自動運転に関する研究開発を担い、このLiDARに代表されるような自動運転に必要となるさまざまな要素技術を検証しているのだ。この技術は自動運転だけではなく、今後メタバースなどの領域でも応用できると考えられている。
「ソフトバンクはものを作る会社ではなく、サービス事業者です。インフラを作って運用することが得意ですし、消費者とのタッチポイントは多数持っている。
そのため、自動運転の車が完成した後のビジネスモデルの策定やレギュレーションの調整、ユーザー獲得など、ソフト面のサポートもパートナーから期待されているんですよ」
やはり、「研究」は過程に過ぎない。目指しているのは事業開発なのだ。
社会を変えていくため。画期的なサービスの裏に潜んだ、先端技術
もともとは通信技術を専門分野として、大学教員や企業の研究開発職に従事した経験を持つ湧川。技術の領域ではある程度の達成感を持った一方で、ビジネススキルを磨く必要性を感じていたという。
「最先端の技術や優れた技術だからといって、必ずしもサービスとして花開いたり、市場に受け入れられたりするわけではないですよね。世の中に出るタイミング、どれだけ社会性を兼ね備えているか、ビジネスモデルが魅力的であるかなどの条件を全てクリアして初めて、そのサービスは成功します。
だからこそ、技術面だけではなくビジネス面の知見も磨いていかないことには、世の中を変えられないと感じました」
そんな湧川がビジネススキルを磨く場所としてソフトバンクを選んだのは、研究そのものよりも、その先にある事業開発を見据えている企業だったからだ。
かつてはADSLモデムを無料で配布したりと、斬新な取り組みやビジネスモデルで注目を集めてきたソフトバンク。湧川は、その背景にソフトバンクの強みを見出していた。
「決して前面に出さないけれど、画期的なサービスを提供するために、裏では最先端の技術を扱っているんです。あえて技術を打ち出さないのは『技術を活用して、どのように良いサービスを生み出し、社会を変えていくか』が何より大切だと認識しているから。その姿勢に惹かれて、ここで働きたいと思いました」
入社後、湧川は前例のない取り組みに挑戦するソフトバンクの姿勢に大きな影響を受ける。
前述の航空機も、航空業界では「設計から製造までに10年を要す」と言われているが、ソフトバンクは3年で作り上げた。
「構想したのは、当時CTOであり現・代表取締役 社長執行役員 兼 CEOの宮川です。トップ自身が、挑戦や変化をいとわない企業だなと。実現したいことに対して必要ならば、あらゆる活動が認められる、恵まれたフィールドが広がっています」
「研究リミットは3年」「事業化しない決断も英断」──固執して時代から遅れぬように
湧川が率いる先端技術研究所は、現在100名以上のメンバーで構成されている。
「研究所」のイメージとは異なり、技術者は半数ほど。残り半数は、事業開発やバックオフィスのメンバーであり、研究所内で全ての機能をカバーしていることが特徴だ。
研究領域に対して組織がコンパクトなのは、さまざまな企業や大学とパートナーシップを結んでプロジェクトに取り組んでいるから。「ソフトバンクでやるべき領域」と「より専門性のある団体に任せるべき領域」を切り分けながら、活動を最適化している。
メンバーの主体性を信頼して裁量権を与えている湧川だが、伝えているルールが二つだけある。一つは「研究のリミットは3年」ということ。
「デジタル時代は、とてつもなくイノベーションのサイクルが早いでしょう。数年後が見通せない時代の中で、5~10年もかかる研究に取り組んでいてはいけないと思っていて。
どんなに内容が素晴らしくても、社会のスピードと合わなければ、いい研究にならないからです」
そして、もう一つは「研究の出口を作ること」だ。
「事業化して成功を収めることだけが、研究の成果ではありません。先端技術研究所では、『この研究を事業化する/しない』の意思決定をする時にNOの答えを出したメンバーも『Good job!』と称えています。
『検討します』の繰り返しを続けていては、その時間が無駄になってしまうかもしれない。NOと意思決定することは失敗ではないし、事業化に至らなかった原因を分析することで学びを次に生かせるんです」
代表取締役 社長執行役員 兼 CEO・宮川がよく口にするという「今日の挑戦が未来の常識になる」という言葉に、湧川は強く共感している。アクションを続けることにこそ、先端技術研究所の価値があると捉えているのだ。
次々と技術革新の波が訪れ、変化のスピードが速い今、未来を見通すことは難しい。ただ湧川は、今後デジタルやAIを活用して究極的な効率化を図る時代になった時、“日本はしなやかに強いはず”という確信を持っている。
「あらゆる場面で効率化を突き詰めると、贅沢品が不要と言われるようになってしまい、便利だけど面白くない社会になってしまいます。
けれど、日本人は歴史や文化の中で育まれた感性が豊か。だからこそ、バランス良く、効率化することと、しないことを選択していけると思うんです。我々ソフトバンクとしても、そのような社会を支える基盤作りに貢献していきたいですね」
技術だけではなく、サービスというソフト面もバランス良く突き詰めてきたソフトバンク。彼らがリードする「デジタルの社会実装」に、大きな期待を寄せたい。