開催国となったのは、建国100周年(当時)に沸くウルグアイです。祝賀行事の一環にしたいというウルグアイ側からの提案と、1924年、28年のオリンピックで連覇したサッカー強豪国であるということが考慮されて、FIFA総会の満場一致で決定しました。
第1回大会の決勝カードはウルグアイ対アルゼンチン。奇しくも28年のオリンピック決勝と同じ組み合わせとなり、開催国であるウルグアイの優勝で幕を閉じています。
出場国の経費をすべてウルグアイが負担するという破格の招待が各国になされましたが、ネックとなったのが「プロ選手の参加」です。当時の交通事情では、欧州各国の選手が南米で開かれる大会に参加するためには船旅・準備期間・大会期間を含めて2ヵ月近くが必要でした。そのため、選手たちの所属チームが長期間選手をとられてしまうことに難色を示したのです。
出場を辞退する国が続出し、最終的には予選なしの13チームで大会が行なわれました。イタリアやスペインといった現在はW杯の常連である国も出場辞退しています。
ちなみに、日本も招待されて辞退した国の1つです。状況によっては、ドーハの悲劇が起こる前に日本のW杯出場がかなっていたのかもしれません。
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