これを受け、日本の政治、社会にはどのような影響が出るのか。
ミルケンインスティテュート アジアフェロー/国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院 兼任教授である田村耕太郎氏に聞いた。
安倍総理銃撃事件の次に起こること。多くの課題はさらに先送りにされる可能性が高まるだろう。
今日の世間の雰囲気の下で、「今の日本でやるべき政策論を本音で述べる街頭演説」をやることは私には恐ろしく感じる。日本に関するデータを精査すれば、「本音のやるべき政策」とは、もう国民の耳に痛いことしか残されていないことは明白だ。政治は未来のためにあり、我々国民は未来へのバトンタッチの意識を強く持たないといけない。
増税含めた財政再建策も憲法改正も移民も産業や企業の新陳代謝を早める施策も、短期的には低迷する経済の中でのコロナ禍に、我慢に我慢を重ねている国民にさらに厳しく聞こえる話だ。まあこれも活力があるうちに改革を行わなかったツケなので、当時政治家であった私も責任を強く感じる。
街角から感じる「窮屈な怒り」のようなもの……
シンガポールから2年ぶりに日本に帰国して数日だが、2年前に比べて、さらに「窮屈な怒り」のようなものを街角からすでに感じる。東京都心でも街はさらに高齢化している。ポストコロナに入り活気を取り戻しつつある東南アジアから日本に来ると街にパワーが感じられない。
しかしながら、厳しい現実に向き合い、耳に痛い施策を今から行って、「稼げる日本」にしない限り、日本は、満足な高齢化対策も防衛力強化も教育投資増額もできない。しかし、稼げる日本にするための施策は選挙時には有権者に耳に痛い話ばかりだ。
我々国民も、今の世の中に不安があり将来に不満を抱え、でも、だからこそ、変化は好まない。
今回の襲撃事件を受けて、全国各地で為政者に暴力をふるう模倣犯が出てくる可能性がある。政治家や候補者はさらに怖くて、彼らの耳に心地よい話や不満の吸収ばかりしかできなくなる可能性が高い。
「聞く力」「同調する力」ばかりが増長して、決断する力、諭す力はさらに劣化するだろう。犠牲者は未来を担う若者・子供たちであろう。