だが鷗外は、夏目漱石と並び称される明治の文豪であるとともに、東京大学を出て軍医総監にまで上り詰めた「二刀流」エリートでもあった。今月から何回かのシリーズで、元記者・今精神科医こと「エセ二刀流」の私が、浩大な偉人の実像に迫っていく。
第一回は、鷗外の才能に惜しみなく愛情を注いだ実母との「母子一体」関係について。
ハトロン紙の帯で作ったポケットにしのばせた──
私事から書き始めたい。
小学生のころ、切手収集に入れ込んだ時期があった。B5版大の切手帳。ハトロン紙の帯で作ったポケットに、小遣いを溜めて買い求めた様々な意匠の切手をしまい込むときの愉悦。お気に入りは北斎の「神奈川沖浪裏」だったが、明治の作家らの肖像画を切手化した文化人シリーズ(18種)も垂涎(すいぜん)の的だった。
その中で、一番高価だったのが哲学思想家の西周(にし・あまね)。たしか当時3000円以上したはずだ。高度経済成長期のやんちゃ坊主は、高額なほど偉いと勘違いしたので、夏目漱石より森鷗外、さらには西周の方が「立派」なんだと、まだ両文豪の小説を読む前から刷り込まれた。
「石炭をばはや積み果てつ」──『舞姫』の冒頭文。鷗外の処女小説であり代表作。発表された1890(明治23)年は、天皇を統帥権者とする大日本帝国憲法公布の翌年にあたる。高校の現代国語で学んだその雅文体を真似て日記をつけたのも──懐しき思ひ出なりき。
鷗外全集(ちくま文庫)現在、絶版中のため、中古で入手した筆者所蔵本
『舞姫』のあらすじをおさらいしておこう。
某省の官吏である主人公太田豊太郎は、国費留学先のドイツ・ベルリンで少女エリスと出会う。異国の女性との交際を讒言(ざんげん)され免職となった豊太郎は、親友相沢謙吉のはからいで新聞社通信員の職を得、エリスと同棲する。しかし、またも相沢のとりなしで訪欧中の天方大臣に認められた豊太郎は、帰国の途につくのか、彼の地でエリスとの蜜月を続けるのかの選択に悩んだすえ、前者に縋(すが)りついた。
真冬のベルリンを傷心のまま歩いて病に倒れた豊太郎不在のまま、彼の子を宿したエリスは相沢から事の顚末(てんまつ)を聞かされて卒倒、精神の作用はほとんど全く廃して、生きる屍(かばね)と化した。
「ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得難かるべし。されど我が脳裏に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」と結ばれている。
この小説は森鷗外(本名森林太郎)が19歳で東大医学部を卒業後、陸軍軍医となり、ドイツに約4年間、官費留学した時の実話が下敷きになっている。踊り子として描かれるエリスのモデルとなった女性は実際、1888(明治21)年に林太郎が帰国したのと同時に、あとを追ってベルリンから渡日している。
平成になってから、エリスは「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」という名のポーランド生まれの女性だったと、ベルリン在住のライター六草いちか氏が解き明かしている。(『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』河出文庫)
六草氏がエリス捜しを始めたのは幾重もの偶然からだったが、驚愕の「事実」を知り、調査に拍車がかかった。それはいったい何だったのか?