「戦地なら勲章、帰ってきたら殺人者」。帰還兵の母がロシア語作家に語ったこと

アフガン帰還兵やその母親たちの証言の記録『亜鉛の少年たち──アフガン帰還兵の証言〈増補版〉』が話題だ


「俺は死んだあいつを恨む」


取り調べがあって……数ヶ月続きましたが……あの子は黙っていました。私はモスクワのブルデンコ軍病院を訪ねました。そこで、あの子と同じく特殊部隊(スペツナズ)にいた子たちを探し出して、事情を説明しました……。

「どうしてうちの子が殺人を犯すことができたんでしょう」

「つまり、それだけのことがあったんでしょうね」

なかなか腑に落ちなかったんです、息子がそんな……人を殺せるものだろうかって……。ひたすら訊いて回って、ようやくわかりました。殺せたんだ、って。死ぬことについても訊いてみました……いえ、死ぬことというより、殺すことについて。でも殺人の話をしてもまったく抵抗感がないんです、血を見たことのない正常な人間なら殺人と聞いて必ず感じるはずのあの感覚を失くしてしまってる。あの人たちは戦争を、人を殺す仕事と捉えていました。それから、やはりアフガニスタンを経験し、アルメニア地震のとき〔一九八八年十二月〕には救助隊とともに現地に行ったという若者たちにも会いました。アルメニアで恐怖を感じたかどうか、それが気になったんです。私はそこにこだわるようになっていました。彼らは死を目の当たりにしてなにを感じるのか。でもやっぱりなにも恐れないし、かわいそうだとも感じにくくなっているようでした。手足のない人……潰された人……頭、骨……。まるごと地中に埋まってしまった小学校……教室……。授業中、席に着いたまま土の下に消えていった子供たち……。それなのに彼らが思い出すのは、まったく別のことばかり。上等な酒の貯蔵庫を掘り起こしたとか、どんなコニャックやワインを飲んだとか。「またどこかで地震でも起きないかな、起きるなら暖かい土地で、ブドウの木が育つ、いいワインがとれるところがいい」なんていう冗談さえ飛ばして……。あの子たちはまともなんでしょうか、精神に異常はないんでしょうか。


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「俺は死んだあいつを恨む」って、最近あの子が手紙に書いてよこしたんです。五年も経つのに……。当時なにがあったのかと訊いても、答えてくれません。わかっているのはただ、殺した相手は―ユーラという青年でしたが―アフガニスタンで金券(チェーキ:国外で働くソ連市民の給与支払いに用いられていた券〕をたんまり稼いだと吹聴していたということだけです。でも、じつは彼はエチオピアに准尉として勤務していたんです(一九七七~八八年のオガデン戦争〕。アフガニスタンの話は噓でした……。
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