「戦地なら勲章、帰ってきたら殺人者」。帰還兵の母がロシア語作家に語ったこと

アフガン帰還兵やその母親たちの証言の記録『亜鉛の少年たち──アフガン帰還兵の証言〈増補版〉』が話題だ


「じゃあおいしいパイを作るわ。すぐにできますからね」。私は不思議と嬉しくなってしまって。

その子たちはうちに一週間いました。数えたわけじゃないけど、ウォッカを三箱は飲んでいきました。毎晩帰ってくると知らない若者が五人いて、その五人目はうちの息子で……。あの子たちの会話は、怖くて聞きたくなかった。でも、うちにいるんだもの……うっかり聞いてしまって……。そのとき話していたのは、二週間続けて待ち伏せする任務につくとき、攻撃的になれるように興奮剤が配られたこと。だけどすべて口外してはならないということ。それから、どんな武器で殺すのがいいか……どのくらいの距離がいいか……。あとになって思い出しました、あれが起きてしまったあとに……。それでよく考えてみて、ぞっとしたんです。それまではただ怖くて、「ああ、あの子たちみんな気が違ってしまったみたい。どうかしているわ」と思っていただけでした。

あの子が人を殺す前の晩に…


夜……あの子が人を殺すその前の晩に……夢をみました。私はあの子を待っているのに、いくら待っても帰ってきません。そこへ、あの子が運ばれてきて……。運んできたのは例の、四人のアフガン帰りの若者でした。そして汚れたコンクリートの床に放り出すんです。つまり、うちの床が剝き出しのコンクリートになってたんです……うちの台所が―まるで刑務所みたいに。

そのころにはもう、息子は通信工科大の予備科に通い始めていました。いい小論文も書いて。すべてがうまく運び、幸せそうでした。私も、もうあの子は大丈夫だと思うようになっていました。あとは大学に入って、いずれは結婚もして―と。でも夜になると……私は夜が怖かった……あの子は安楽椅子に座り、じっと壁を睨むんです。そしてそのまま寝入ってしまう……。私は駆け寄ってあの子を抱きしめてあげたかった、どこにも行かせたくなかった。最近、夢をみるの―あの子はまだ子供で、なにか食べたいってねだるんです……決まってお腹を空かせていて、両手を差しだして……。夢のなかのあの子はいつだって、いたいけな子供。でも現実の世界では、二ヶ月に一度の面会があるきりです。ガラス越しに四時間、話ができるだけ……。

年に二回の面会のときは、少しは手料理を食べさせてあげられます。あの犬の鳴き声が響くなかでだけど……。夢のなかでもあの犬が吠えて、あちこちから私を追いかけてくるんです。


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私にアプローチをしてくれた人がいました……花束を持って……。その人が花束をくれようとしたとき、私は「近寄らないでください、私は人殺しの母親なんです!」と怒鳴っていました。はじめのうちは知り合いに会うのも怖くて、お風呂場に閉じこもっては、このまま壁が崩れて生き埋めになってしまえばいいのにと考えていました。外に出れば誰もが私を知っていて、みんながこっちを指差しては、「ほら、例のひどい事件の……あの人の息子がやったんでしょう。バラバラにしたらしいですよ。アフガンの手口で……」と噂しているんじゃないかという気がして。だから外へ出るのは夜中だけにしたんです。夜行性の鳥にすっかり詳しくなって、鳴き声でわかるようになりました。
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