ソヴィエト兵は精神を病み、帰還後肉切りナタで──。話題書『亜鉛の少年たち』を読む

アフガン帰還兵やその母親たちの証言の記録『亜鉛の少年たち──アフガン帰還兵の証言〈増補版〉』が話題だ


訓練所で何度も手首を切った


あとになってから知ったんです。裁判のあと……。訓練所(ウチェプカ)で何度も手首を切ったって……。模範演習のときあの子は通信兵で、携帯無線機を木の上にいる兵士に渡すのが間に合わず、決められた時間内にできなかったそうです。それで下士官がトイレの汚水をバケツに五十杯汲ませて、隊列の前を通って運ぶよう命じました。あの子は運んでいる途中で気を失ってしまって、病院で軽い精神性ショックと診断されたその夜、手首を切ったそうです。二度目はアフガニスタンで……奇襲の直前の点検で携帯無線機の故障が見つかったとき―予備のない部品がなくなり、隊の誰かが盗んだということになって……。犯人探しが始まると、隊長があの子を臆病者呼ばわりして、さもあの子が皆と一緒に行きたくなくて部品を隠したとでもいうように非難したそうです。でも現地では隊内での盗みが横行していて、自動車はパーツごとに分解されて現地の店(ドゥカン)で売りさばかれていたんです。そのお金で麻薬を……麻薬や煙草や、食べものを買うために。彼らは四六時中飢えていたんです。


Shutterstock(写真はイメージです)

テレビでエディット・ピアフの番組をやっていて、あの子と一緒に見ていたとき、

「母さん、麻薬ってどんなものだと思う?」と訊かれました。

「知らないわ」と答えましたが、それは噓でした。そのときはもう、あの子が麻薬を吸っていないかどうか気にかけていたんです。

その気配はなかったけど、現地であの子たちが麻薬をやっていたのは確かです。

「アフガニスタンではどうだったの?」と訊いてみたことがあります。

「うるせえ!」

あの子がいない隙に、アフガニスタンから届いた手紙を読み返しました。あの子の身になにがあったのか、その真相を知りたい、理解したいと思って。でもなにも特別なことは書いてありません。草の緑が恋しいとか、雪景色のなかに立っているおばあちゃんの写真を撮って送ってほしいとか。でもあの子がどこかおかしいのは見ていてわかったし、感覚的にも伝わってきて……。帰ってきたのは別人でした……。あれは、うちの子じゃなかった。でも私は自らあの子を戦地に送り込んだんです。先延ばしにすることもできたのに。逞しくなってほしかった。軍隊に入ればもっと立派になる、強くなるんだって、自分にもあの子にも言い聞かせてた。アフガニスタンに行くあの子にギターを持たせて、お菓子を並べて壮行会をしました。あの子は友達を呼んで、女の子たちも来て……。私はケーキを十個も買いました。

>戦地なら勲章、帰ってきたら殺人者」。帰還兵の母がロシア語作家に語ったこと に続く

(c)2013 by Svetlana Alexievich


スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:ジャーナリスト

1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。綿密な聞き書きを通じて一般市民の感情や記憶をすくい上げる、多声的な作品を発表。戦争の英雄神話をうち壊し、国家の圧制に抗いながら執筆活動を続けている。2015年ノーベル文学賞受賞。邦訳作品に『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争──白ロシアの子供たちの証言』(岩波現代文庫)、『完全版 チェルノブイリの祈り──未来の物語』『セカンドハンドの時代──「赤い国」を生きた人びと』(岩波書店)など多数。


著者近影:(c)Margarita Kabakova

奈倉 有里(なぐら・ゆり):翻訳者

1982年東京生まれ。ロシア国立ゴーリキー文学大学卒業。東京大学大学院博士課程満期退学。博士(文学)。著書に『夕暮れに夜明けの歌を──文学を探しにロシアに行く』(イースト・プレス)、『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』(未知谷)、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、リュドミラ・ウリツカヤ『陽気なお葬式』(以上新潮クレスト・ブックス)、ウラジーミル・ナボコフ『マーシェンカ』(新潮社「ナボコフ・コレクション」)、サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』『赤い十字』(集英社)など。


スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、奈倉有里訳『亜鉛の少年たち──アフガン帰還兵の証言〈増補版〉』(岩波書店)

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