……タシケントから電報が来ました―「ムカエコウ、トウジョウキ○―××ビン……」。私はベランダに飛びだして、思いきり大声で「生きてる! あの子が生きてアフガニスタンから帰ってくる! もうあの恐ろしい戦争のことなんか考えなくていいんだ!」と叫ぼうとして、気を失いました。だから空港へは遅れてしまって、着いたときには息子の乗った便はとっくに到着していて、あの子は辻公園に寝転んで草を握りしめて、草の青さに目を丸くしていました。帰ってきたのが信じられないみたいで……。だけど、まったく嬉しそうじゃなかった……。
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その夜、うちに近所のご家族が来ました。鮮やかな青いリボンを結んだ女の子を連れて。息子はその子を膝にのせて抱きしめて、泣きだしてしまった。涙がとめどなく流れて……。息子も、戦地では人を殺してきたんだもの……。そうと気づいたのは、あとになってからだけど。
下着もはかずに帰ってきて
入国の際にあの子は税関で外国製の水泳パンツを無理やり脱がされて没収されたそうです。アメリカ製品は持ち込み禁止だからって……。だからあの子は下着もはかずに帰ってきた。四十歳のお祝いに私にくれるはずだったガウンも、おばあちゃんにあげるはずのスカーフも取りあげられて。グラジオラスの花束だけは持ってきました。だけど、まったく嬉しそうじゃなかった。
朝起きたときはまだ普通にしてるの―「おはよう、母さん」って。でも夜になるにつれて表情に翳りがさし、目つきもどんよりとして……うまく言葉にできないけど……。はじめは、お酒は一滴も飲まなかった……。ただソファに座ってじっと壁を見つめていたかと思うと、不意に立ちあがって上着を摑んで……。
私はドアの前に立ちはだかって、
「ワーリュシカ、どこへ行くの?」
って訊いたわ。でもあの子はまるでからっぽの空間を見るような目で私を見て、出ていってしまった。
職場から帰るのは遅い時間だった。勤め先の工場が遠いうえに、遅番だから。だけどベルを鳴らしても、あの子はドアを開けてくれないんです。声を聞いても誰だかわかってくれなくて。そんなのっておかしいでしょう、友達の声ならまだしも母親の声を忘れるなんて。しかも「ワーリュシカ」って呼ぶのは私だけなのに。あの子はまるで絶えず誰かが来るのを予期して、怯えているみたいでした。新しいシャツを買ってきて、サイズを合わせてみようとしたとき―腕が傷だらけなのに気づきました。
「どうしたの、これ」
「なんでもないよ」