大企業の新規事業・サービス開発に特化した支援を行なうデザインコンサルティングスタジオ、NEWh(ニュー)でプロジェクトマネージャーを務める木下拓郎もその一人だ。
こう書くと、俯瞰の目線で采配を振るうクールなタイプを連想するかもしれない。しかし木下に話を聞くと、そのイメージは吹き飛ぶ。
彼は一緒に仕事をするメンバー一人ひとりと積極的に関わり、どうすれば各自の能力がフルに発揮されるかを常に考えている。だからこそ、人と人との化学反応を促すことができるのだ。
「プロジェクトに関わるみんなにミッションを楽しんでほしいし、夢中になってほしい。だから、お節介を焼いているだけです」と木下は笑う。しかしその根底には、多くのステークホルダーが協力してゴールを目指す新規事業創出で、全員が気持ちよく取り組める仕組みをつくりたいという想いが脈打っている。
木下のこの考えはどのようなキャリアの中で生まれ、プロジェクトマネージャーとしてどのように理想を実現させようとしているのか、探っていきたい。
人の個性を見抜く力は、ジレンマの中で培われた
木下のキャリア初期は、ジレンマがつきものだったと言っても過言ではない。
もともとコンシューマー向けプロダクトに興味があり、関わりたいと考えていた木下は、世相や世論、時代性を加味し、クライアントのプロダクト・サービスを価値ある情報として社会に流通させる広報の仕事に惹かれ、新卒で大手PR会社に入社する。
入社から約10年間、PRプランナーとして大企業案件を担当し、テレビやネットで話題を集めたキャンペーンにも関わってきた。仕事は順調だった。ところが突然、木下にある疑問と願望が湧く。
「マーケティングという大きな仕組みの中で、自分の仕事はどれだけ社会や生活者に役立っているのだろうか?リアリティーがない。誰かの気持ちを動かす、行動を変える、そんな現場に立ち会いたい」
結果的に木下はPRの世界から離れ、商品そのものを売る営業職へ転身する。木下が転職先に選んだのは、固定給がなく完全成果報酬型の外資系保険会社。しかし、ここも木下にとっては安住の地ではなかった。
「ノープラン&勢いで飛び込んだらとんでもなかったです(苦笑)。ひたすら新しい人と出会い、高額な商品を提案し、買っていただく。最初は楽しかったです。
ただ数年やっているうちに、売り物・売り方が決まっていて自由度が少なく、退屈に感じ始めました。しかも目の前の売上のことばかり考えているうちに、人がお金に見える…(笑)。綺麗事かも知れないですが、僕はお金だけでは満足できない。もっと刺激的で、面白いことはないかと考え始めました。
そうして人生に迷っている時に出会ったある中小企業の社長に言われたのが、『面白いことは自分で作ればいい』だったんです。それをきっかけに面白いこと、新しいことができる場所を探すことにしました」
ただ、このジレンマの時代、後々意味を持ってくる経験を木下はしている。それは、保険営業で顧客の声に耳を傾け、相手に関心を持つという体験だ。結果的に相手の個性や考えをつかむ能力を培っていたことになるのだが、NEWhでこれが生かされるまでにはまだ数年を要する。
VR事業時代の後悔が生んだ、社会実装へのこだわり
木下が新たな挑戦の場に選んだのは、博報堂系列のデジタルエージェンシー、スパイスボックスだ。
PRプランナーとしての入社だったが、すぐにスパイスボックスからスピンアウトしてできた新会社、WHITEへの移籍の話が持ち上がる。
「スパイスボックス内のプロトタイピングラボだったWHITEが、VR事業のために会社化したばかりの時期で、自社開発したVRゴーグルを売り出すタイミングでした。
2015年当時、VRゴーグルは何十万円もする高級デバイスでしたが、WHITEではその普及促進のために紙製の安価な製品を開発していました。明治大学と共同開発したもので、紙製なのに画面を操作できるという、画期的なプロダクトだったんです。上司からWHITEへの転籍を打診されたとき、これこそ自分が挑戦すべきことだと思って飛び付きました」
PRや営業の経験を生かしながら、新しい自社商材を自由に売ることができるのは、木下にとって渡りに船だったはずだ。しかし、ことはそう上手く運ばなかった。
新しい技術には、一気に社会に浸透するタイミングがある。現在でこそメタバースなどの可能性も広がっているが、当時のVRは技術的に発展途上だったこともあり、時期尚早だった。
「大量発注を狙い、企業の広告プロモーションでの活用にフォーカスして営業しました。その後、家電量販店やAmazonでも販売し、トータルで数十万という数を売りました。しかし、あっという間にVRがダウントレンドになり、事業として続けられなくなりました」
VR事業撤退後、WHITEの別事業である大企業向け新規事業開発支援を行なう部署に異動。未経験で新規事業開発を推進するプロジェクトマネージャーを担当した。
「VR事業が成功しなかったのは、ニーズの問題もありましたが、自分に事業開発のスキルが足りていなかったからです。だからそのスキルを得て、リベンジしたい。新規事業開発なんてやったことないし、プロマネなんて職種は聞いたことがない(笑)。
でもどこか面白そうだと感じました。新しい価値をつくって世に届けることは、格好いいなと思いました。またしても直感。行き当たりばったりですね(笑)」
その後2020年、WHITEのコアメンバーが立ち上げた新会社NEWhに合流することになる。
「WHITEのメンバーは自らの利益を優先するのではなく、顧客企業や社会にとって自分がいいと思うことに、まっすぐ向かう人ばかりでした。事業を社会実装するためには、組織や仕組みをしっかりとつくる必要がある。それを、このメンバーでやりたいと思いました」
プロジェクトに関わるすべての人が楽しく、夢中であってほしい
NEWhへの参画前から、木下が大事にしていることがある。それは、人と人を掛け合わせて化学反応を起こさせることだ。保険営業時代に培った人を見抜くスキルが、ここで大いに役立っている。
「新規事業には、多くのメンバーが関わります。一つのゴールを目指すにあたって、それぞれが前向きに楽しく、自分の能力を発揮できるか、そのための組織や仕組みが重要です。
メンバーそれぞれに得手不得手、興味関心の違いがあるので、どのポジションに誰をアサインするか、誰と誰を掛け合わせたらどんなパフォーマンスが生まれるのかを考えるのが大事で、僕はそこにやりがいを感じるんです」
彼の組織論は、明快だ。
「誰かの顔が曇っているのを放っておけないんです。人と人を掛け合わせることで、各自が力を発揮できる場所を見つけたい。そしてメンバーみんなのやる気が出る『ツボ』を押したい。
ただし、これは仲良しクラブをつくるのとは違います。みんなにスポットが当たってハッピーな状態で仕事ができれば、組織としても持続的ですし、パフォーマンスも高まるからです」
もちろん苦労もある。大企業の新規事業はトップダウンでスタートするケースも多く、NEWhだけの問題ではないからだ。
「どうやって目的や意義を共有して、すべてのステークホルダーに同じ方向を向いてもらうかが難しいところです。NEWhはあくまで支援をする側なので、当事者であるクライアントの担当者にその気になってもらう必要があリます」
木下がステークホルダーにこだわるのには、もう一つ理由がある。それは、NEWhの事業創出支援における考え方に関連する。
「新規事業はユーザー視点、ビジネス視点、クライアント視点のバランスが重要です。エンドユーザーにとって魅力的なサービスでも、収益性が見込めなければ事業として成立しませんし、収益性があってもクライアントがその事業を展開する社会的意義が薄い場合もある。すべてのステークホルダーがハッピーになるためにはどうすればいいかを、常に考えています」
VR事業のリベンジを大企業の新規事業開発で
木下がNEWhで担当した事例の中で、VR事業のリベンジとなっている案件がある。ある化粧品会社のプロジェクトで、一人ひとりのユーザーに合わせた美容体験を提供する新サービスだ。
この案件は通常の化粧品とは違い、専用のデバイスやアプリが必要になる。WHITE時代のVR事業でも、VRゴーグルというデバイスが存在していた。つまり両者は、デバイスも含めたコンシューマー向けサービスという点で、共通しているのだ。
「僕はもともとコンシューマー向けプロダクトが好きで、しかもこの案件にはクライアント、デバイス製造に関わるデザイナーやメーカー、アプリ開発会社など、ステークホルダーが多く、プロマネが超重要です。まさに自分が一番やりがいを感じる案件でしたね」
ふと、そもそも木下はなぜコンシューマー向けプロダクトをこれほど好きなのかという疑問が浮かんだ。
「事業創出を支援した製品やサービスがどのように受け入れられるか、実際に使う人を想定できるほうが、プロダクトの価値を実感できます。身近に感じられる人に喜んでもらえる、感動してもらえる、それが最高です」
いかにも「人」にこだわる木下らしい答えだ。最後に、木下の関心事やこれから目指すところを聞くと、組織・仕組みづくりに関する持論を語ってくれた。
「持続的な組織開発ももちろん重要ですが、個人的には短期間のプロジェクトベースで、どうやって強い組織や仕組みをつくるかに関心があります。すべてのステークホルダーが想いを共有して夢中になれる仕組みはどうすればつくれるのか、これからも考えていきたいですね」
クライアントを支援するという観点から言えば、プロジェクトベースで組織を考える木下の着眼は的を射ていると言えよう。
常にすべてのステークホルダーを幸せにする仕組みに、想いを馳せる木下。彼はプロジェクトマネージャーというより、プロジェクトデザイナーと呼ぶにふさわしい。