牧:IABの根幹にあるのが教わるという受動的な姿勢よりも、学びたいと考える能動的な人たちほど歓迎される場所のように思えます。高校生特別研究助手の制度もですが、切磋琢磨できる環境のようにも思えました。冨田さんが今の日本の教育システムを変えるなら、どういった仕組みがいいと思われますか?
冨田:それはもっとAO入試を流行らせることです。受動的な人が多いのも、学校で受動的になる教育を受けているからなんですよね。少なくとも今日に関して言えば、生徒は教科書を与えられ、そこには“答え”がすべて書いてある。もう議論の余地がないくらい正解が書かれていて、解き方まで書いてある。日本は、それを真面目に言われた通りにやった人が勝つゲームをもう何十年も続けているわけです。
それで会社に入り、上司に言われた通りやるのが出世の最短距離だと思われているかもしれません。確かに、余計なことをせずに言われた通りきちんとやることが最適戦略だった時代がありました。戦後40年間の高度経済成長期はまさに言われた通りにやってさえいれば、みんなが成長できたのです。その時代が終わったことに、どのくらいの人が気づいているのでしょうか。
AO入試では、「自分が人生をかけて解決したい課題は何か」を問われます。その答えや解き方はどこにも存在しません。AO入試を受けようと思ったら、まず最初に考えることは、「自分は何が好きか?」と自問することです。好きなことこそ得意なことですから。人はふつう、得意なことがない場合は、好きところから入っていくんですよね。そしてAO入試の面接では大学入学後に何をしたいか、卒業後はどうしたいかを聞かれます。だから、最低でも10年先の自分の未来を描く必要があります。これはとても大切なことです。
要は、自分という人間が、どうすればより多くの価値を社会に与えられるか、という問いを考えることにつながるからです。一度しかない人生を楽しむだけ楽しんで死ねばいい、と考える人もいるかもしれませんが、多くの人は、自分の価値をなるべく社会に残すことが、じつは本人にとって真の幸せなのかもしれません。中高生にはそういうレベルで物事を考える暇もなければ、機会もない。でも、AO入試を受けるときは必ずそれを考えさせられるのです。そうして自分なりの人生設計や人生哲学がそれなりに練られてくると思います。
牧:大学生の場合、多くがそのプロセスを就職活動の「エントリーシート」という形で社会に出る前に経験すると思うんですよ。そこで初めて自分の過去を振り返り、未来について考え始める。つまり、それは大学4年間という貴重な学びの場をほぼ終えた後です。それを3〜4年前に経験できるかどうかによって、その後4年間の大学生活の過ごし方が変わり、さらに、その延長上の社会人生活に影響するのなら、高校生のタイミングでこれを考えることにこそ意味があるということなんですね。