あるがままに戻るために
moksaはサンスクリット語で「解脱」「解放」を意味し、ホテル全体のコンセプトは「再生」となる。だが、(僕の立場で言うのもなんなのだけど)ホテルという箱の中だけで再生するのは難しいのではないだろうか。
そこでお勧めするのが、ホテルの“外”だ。八瀬には比叡山中腹までの1.3kmを9分で結ぶケーブルカーがある。そこから登山道を15分ほど歩くと、市内を見下ろせる絶景に行き当たる。僕はお湯を沸かし、珈琲を淹れて飲んでみた。気持ちのよい風が吹き、鳥がさえずり、光が緑を輝かせていた。体のすみずみまでよい気が流れ込んできて、完璧に再生できた。
最近、京都で過ごす週末は、山を歩くようになった。「京都一周トレイル」というのがあって、伏見稲荷大社から清水山、哲学の道などを経て比叡山に至る東山コースをよく歩く。本格的に登山をされている方には超初心者コースだが、僕のような素人には、ほどよい冒険感があり、ちょうどいい疲れを感じられる。
現代語の「自然」、つまり英語の「nature」を表す言葉は、明治時代に西洋語が入ってくるまで日本にはなかったそうだ。中国から伝わった文字「自然」は「じねん」と発音され、人為を加えない本来のままであることを意味した。空や海や山や動植物だけでなく、人間も自然に含まれていたのだ。要は「自然のなかで生かされている」という感覚が昔の日本人にはあったわけで、いま、「自然を守る」などと言うのは少しおこがましいのではないだろうか。
山歩きをしていると、自分は生かされているのだと謙虚な気持ちになる。謙虚さは他者を慮ることにつながり、優しさにつながる。皆さんもぜひ山にいらして、風を浴びてください。きっと再生できますよ。
今月の一皿
京都「れんらく船」のスペシャリテ、近江牛の唐揚げ。コーンスターチをまぶし揚げたフィレ肉は噛むと肉汁がしたたる。
blank
都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。
小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わり、2025年大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。