サウナと料理と、よい風と。あるがままに戻るために

東京blank物語 vol.23

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」では、今夜も新しい料理が生まれ、あの人の物語が紡がれる……。連載第23回。


京都は比叡山のふもとにある小さな村「八瀬」。この地で実に千年以上もの間、独特の村落共同体をつくって生活してきた人々がいる。八瀬童子。彼らは庶民でありながら、皇室との関係が深く、政府から天皇大礼・大葬の駕輿丁─「輿を担ぐ職」に任ぜられていた。

僕が八瀬童子について知ったのは2012年、京都の老舗割烹「下鴨茶寮」の経営を引き継いだときだ。前女将から贔屓客の挨拶回りを言いつかったのだが、そのうちのひとりに、元京都府知事の荒巻禎一さんがおられた。荒巻さんは当時、京都文化博物館の館長をされていて、「よかったら見ていってください」と言われた展示が、「重要文化財指定記念 八瀬童子-天皇と里人」だったのだ。

資料によれば、八瀬童子は昭和20(1945)年の敗戦まで租税を免除されていた。延元元(1336)年、京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に潜幸(天皇がひそかに行幸すること)したおり、八瀬童子は輿を担ぎ、弓矢をもって警備。その恩として、地租・諸役が免除されたという。

時が過ぎ、宝永4(1707)年、比叡山と八瀬村の境界争いにおいて、時の老中・秋元但馬守が八瀬村に有利な裁定をくだし、彼らは謝意を示すために秋元神社を建立して祭礼を行った。この祭礼「赦免地踊り」が現代まで300年以上続いているというから驚くではないか。美しく化粧をした灯籠着と呼ばれる13、14歳の少年たちが頭上に透かし彫りの切子型灯籠を乗せ、踊りを奉納するそうで、1952年には無形文化財に登録されている。

縁とは不思議なもので、2019年、僕が代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズがかかわるGood Life & TravelCompanyは、八瀬のある古民家を引き受けることになった。そして3月末、全31室のホテル「moksa」が誕生した。魅力は大きく言ってふたつある。僕が愛してやまない、風呂(サウナ)と食事だ。

八瀬は、古くは「矢背」と記された。672年の壬申の乱の際、背中に矢傷を負った大海人皇子(のちの天武天皇)の傷を癒やすために、村人は八瀬の蒸し湯「釜風呂」を献上したとされる。清流高野川の水を用いたサウナ「蒸庵」は、この話から発想した現代版「釜風呂」だ。

食事は、八瀬に伝わる大原女(平安中期、京都北部の大原から炭や薪などを頭に乗せてやってきた女行商人)から着想を得て、薪火レストラン「MALA」を併設した。比叡山の草木を用いた薪で食材に火を通すわけだが、なかでも大原の野菜のおいしさといったらこの上ない。それ以上に忘れがたいのが、京都・美山の卵を使用した朝食の卵かけご飯。嘘偽りなく、人生ベストワンのおいしさだった。
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写真=金 洋秀

この記事は 「Forbes JAPAN No.095 2022年月7号(2022/5/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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