最初の生産台数は3万台。
ソニーとしては思い切った数字だったものの、後の世界的な大ヒットを考えるとやや控えめな数に思えます。音楽を持ち歩くというスタイルをつくった革命的な商品でしたが、実は、高すぎる価格や再生機能しかないという点、和製英語であるネーミングも「絶対に売れない」と社内でやり玉にあげられていたのです。
そのときに「自分のクビをかけてもやる決意だ」と反対意見を押しのけたのが、ソニー創業者の1人でありだった盛田昭夫会長(当時)でした。
ネーミングについても「使うのは若い人たちだ。若い人たちがそれでいいと言うのだからいいじゃないか」と、宣伝部の若手スタッフたちの意志を貫かせたといいます。
実は、ウォークマンは海外で売り出す際にもネーミングでひと悶着が起きました。こんなネーミングではイヤだとソニー・アメリカが「サウンドアバウト」と名付けたのを皮切りに、各国の販売会社がそれぞれ違った商品名をつけて販売したのです。
このときも、ウォークマンという商品名が口コミで海外に広がっていることを知った盛田が、今後は全世界で商品名を「ウォークマン」に統一すると宣言しています。
ウォークマンの元となるアイデアを出したのは、もう1人のソニー創業者であり当時名誉会長だった井深大でした。ソニーの創業者2人がかかわり、特に盛田がそのクビをかけてプロジェクトを守ったことで、新しい文化を牽引するウォークマンというイノベーションは誕生したのです。
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