北野:いまの後藤さんが無名の若者だとしたら、ミュージシャンを目指しますか。
後藤:現代において自分が10代だったら、ラッパーになりたいんじゃないかな。お金のない状況でマイク1本、ペン1本で戦う姿に憧れるでしょう。ノートパソコンと体ひとつでクラブに行く。なんなら、いまはiPhoneでいい。現場の機材に接続して、あとはマイクがあればできる。そんな身軽さこそ世界中の若者たちがラップを始める理由だと思います。
北野:世界中を見わたせばタリバン政権など、指導者が歌を禁じたり、楽器を取り上げる国もありますよね。何で音楽をそこまで恐れるんだろう、って。
後藤:音楽自体にある種の“宗教性”が備わっているからではないでしょうか。例えば、ビートに合わせて動きたくなっちゃうことだったり、みんなで美しいと思っちゃったり、とにかく心が解放されて自由な気持ちになってしまう。それは1つの価値観やディシプリン(規律)を頑なに強制したい勢力にとっては、とても都合が悪いことだと思います。
芸術や音楽って、それぞれで楽しみ方が違うけど、いったん開かれた後は、全員を共通項で結ぶ回路だと思うんですね。人々をバラバラにしつつ、つなぎ合わせる力がある。そういうフィーリングは言葉より早いです。文章で規律を守りたい人たちはそれが恐ろしく見えて、危うさを感じて妨害したくなるんですよ。「けしからん!」って。
北野:2021年は日本でもコロナ禍におけるライブイベント開催の是非について世論が揺れました。ネットなどで“音楽の力”という言葉を口にすることについて論争があったと思います。
後藤:坂本龍一さんなどは、そうした言葉を使うのはおこがましい、という趣旨のことを、さらに前の年におっしゃっていましたね。つくり手の側が音楽を使って誰かを励ますとか、何かを「してやろう」と思ったとき、おこがましさが生まれると思うんです。
ただ、音楽を聴く側として自分の生き方を振り返ると、音楽からエネルギーをもらった瞬間がたくさんありました。音楽にも、文学にも、映画にも、僕はパワーがあると思います。それを悪い方向、人をコントロールするような目的で使うとよくないことが起きる気がしますが。
コロナでも震災でも、やっぱり音楽によって元気になる人、よみがえるような気持ちになる人がいるんだな、とコンサートなどで実感しました。