既存の事業者は、貨物情報の伝達や輸送手配を依然ファクスやPDFファイルに依存し、その処理に悩殺されていた。フレックスポートはそれから数カ月で、自社ソフトのクラウド版をまとめ上げ、実用化した。
ティールとファウンダーズ・ファンドがピーターセンのために2000万ドルのシリーズA投資ラウンドを率いた15年には、フレックスポートは最新のデジタル・フォワーダーを名乗るようになっていた。
その後も、フレックスポートは急成長を続けた。収益が倍増し、ハンブルクからシンセンに至る各地の港湾に次々と事務所を開設していくと、その存在は、ソフトバンクの目にもとまった。19年1月、ピーターセンは孫正義との直接会議で10億ドルの投資の確約を得た。
ところが約束の資金が送金された直後、ソフトバンクが出資するウィーワークが例の呪われた新規株式公開(IPO)目論見書を発行。孫も大損害を被った。ピーターセンも、方針転換を迫られ、貨物機チャーターのサービスを廃止した。すぐに、利益が出るビジネスになる必要があった。
20年2月、中国での新型コロナウイルスによる都市封鎖の影響が供給網全体に波及し始めると、ピーターセンはパニックに陥った。従業員の約3%、50人を解雇したが、士気が下がっただけで、たいした経費節減にはならなかった。ピーターセンはこの判断を、CEOとして最大のミスだと話す。
だが、パンデミックが拡大すると、傷だらけのフレックスポートは早々に自分たちの存在意義を見いだすことになった。ピーターセンは17年に非営利事業部門「Flexport.org」を立ち上げていた。非政府組織(NGO)や非営利団体(NPO)が寄付物資を輸送する際に割引運賃でサービスを提供する事業だ。
この部門はパンデミック初期、米国から武漢に35万枚のマスクを輸送。ウイルスが米国に達すると、今度は中国で何万枚ものマスクをかき集め、米国の病院に届けた。ピーターセンは慈善活動のために輸送機のチャーターを再開した。
「3カ月は息をつく間もありませんでした」
フレックスポートの収益は、21年を通して予測を吹き飛ばす勢いで倍増し、利益を上げた。21年10月、ピーターセンはある投資家との会話をきっかけに、カリフォルニアの各港の貨物渋滞についてきちんと理解しなければと、ロサンゼルスへ飛んだ。
ボートを借り上げてロングビーチ港を見て回り、翌日、調査の結果をツイッター上で報告した。そしてコンテナをより高く積み上げること、貨物鉄道の終着点に新たなコンテナヤードを設けることなどの緊急措置を提案。
このツイートはすぐさま1万5000回以上リツイートされた。これに反応して、ロングビーチ市は翌日、コンテナを積み上げる高さの規制を緩和した。政治家からも電話があったし、HBOのドキュメンタリー報道番組や調査報道番組「60ミニッツ」からは、港湾の案内を頼まれた。
この新参者が脚光を浴びるたびに、旧来の物流業界人は憤慨するのだが。