イタリアの自転車屋の事業承継がセンスとヒントに溢れている理由

ドラーリの自転車


実質的なことをいえば、良き趣味を守るためにも、目の前にある問題の解決を図るビジネスで脇を固めておく必要があります。短期的にビジネスの利益が目に見えやすい事業を「星座」のように配置しておけば、たとえ一つが上手くいかなかったとしても、他への影響は最小限に抑えられます。

しかも、彼らが手掛けている問題解決はひとつの標的への狙い撃ちではありません。社会の仕組み自体を変革していくものです。

例えば、(暗号化したデータで)患者に代わって医者に処方箋を発行してもらい、それを薬局に提示して買った薬を注文者宅に届けるのは、単に患者の負担を解消すると同時に、ある地域に住む人たちの健康についてどのような関心を抱いていくのが適切なのかを問うことでもある。それによって地域社会をつくりかえていける可能性があります。

一つ一つ実際にやってみたら「こういう視点もあったのか!」という発見もありながら、実はそれらも最初から視界に入れている。どちらかというと「やはり、こういうポイントに行きあたったね」という感じでしょうか。問題解決領域を相手にしながら、文化をつくる意味を求めることを常に行っているからでしょう。

カメラーナさんと仲間たちの求めるサイズ感も良いのでしょう。自転車という乗り物のサイズもそうだし、彼がビジネスとして狙うサイズもそうです。抑えたサイズのなかに三次元的に多方向からエッセンスを求めようとする。そこには当然、社会的な責任が感じられます。そういえば、グループで自転車を走らせたいメンバーを募るスマホのアプリも作り、運営しており、全国の自転車愛好家に利用されています。

世代論ではくくれない“信念”


彼らの動きは、新しいラグジュアリーの担い手となる若い人たちの関心と無理なく重なります。実際、カメラーナさんたちが支援するスタートアップは、若い人が手がけるものと、カメラーナさんと同世代が手がけるもの、その両タイプがあります。

こう聞いて、「世代論自体にあまり意味がない」と言われればそれまでですが、ぼくがカメラーナさんと話していて感じるのは、「自分たちの世代が主人公ではないから、若い人たちの背中を押そう」というよりも、「自分たちが面白いことをやっていれば、自ずと若い人たちも集まってきて、そのなかで皆が助け合うようになる」という信念です。彼と仲間たちは、この感覚を40代後半で抱いたのでしょう。

カメラーナさんは「ぼくたちはサポートする会社を探し回らない。市場リサーチからはじまるのではなく、好感がもてる人を介してやってきた話に乗っかるかどうかだ」と言います。「嫌な奴」とあえて付き合う理由はない、と。

どうも、ここに新しいラグジュアリーを進めていくヒントがありそうです。とてもざっくりとした話にも聞こえるかもしれません。中野さん、どう思いますか?
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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