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2022.06.14 08:30

【対談】米山舞・PALOW. グローバルで評価される「コミックアート」の世界

(左から)イラストレーターのPALOW.、米山舞

(左から)イラストレーターのPALOW.、米山舞

マンガやアニメの表現技法から発展して描かれる「コミックアート」。その最前線を走りながら、国内外で高い評価を得ている2人のイラストレーターがいる。米山舞とPALOW.だ。

米山は、カネボウ化粧品「KATE」のMV「YOKU/Eve」の制作などでその名を知られるなど、2021年秋にはロンドンにあるサーチギャラリーの展覧会に、日本人アーティストとして選出された。そこで作品に評価金額1240万円が付けられるなど、グローバルでも活躍の場を広げている。

一方、PALOW.は2013年に発表した「虫メカ少女」シリーズが話題を集め、2016年には専門学校HALのTVCMのキャラクターデザインにも起用された。ほかにも、バーチャルシンガー「花譜」のキャラクターデザインを手掛けるなど、独自の世界観が高い評価を得ている。

2人が所属するクリエイティブスタジオSSS by applibot(トリプルエス バイ アプリボット)は、6月11日から東京・青山で展覧会「Re\arise #1 EXTHIBITION TOKYO」をスタートした。

コミックアートの第一人者である2人に、新しいアートのいちジャンルとして、世界でも評価されるようになったコミックアートの可能性や課題点を聞いた。


──アートの道を志したきっかけを教えてください。

PALOW.:僕は父親が画家で、自宅にアトリエを持っていたこともあり、周りにアートやマンガが多い環境で育ちました。

それと、家が貧乏だったので、ゲームなどお金がかかる遊びができず、自然と絵を描くようになりました。絵を描いていると両親からも褒められたんです。それで、疑うこともなく絵の道に進んだという感じです。



米山:私も典型的な「お絵かき好き」でしたね。長野県の田舎出身なので、周りに遊ぶものがなくて、一人で留守番をしているときなどは、カレンダーの裏の白紙にずっと絵を描いているような子どもでした。

進学を考えたとき、建築家の父と同じように建築の道に進むか迷ったのですが、その当時アニメーションに携わりたい気持ちが強く、アニメ専門学校に進学しました。

──現在の作風はどのようにして生まれたのでしょうか。

PALOW.:僕も米山さんと同じように、絵を描いてすくすくと育ってきたのですが、金銭的な問題があって美大進学は断念しました。19歳の時に大御所イラストレーターさんに弟子入りしたこともありましたが、厳しくてついてけず1年で断念。「僕は絵を描くのには向いてないんだ」と挫折しました。

それから、絵以外のことにチャレンジしようと、音楽をつくったり対戦ゲームに没頭したりしたのですが、絵を描くときより努力しているのに、絵よりも成果が出ませんでした。
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文=堤美佳子 取材・編集=田中友梨 撮影=杉能信介

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