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2022.06.14 08:30

【対談】米山舞・PALOW. グローバルで評価される「コミックアート」の世界


そんな悶々としている時期に東日本大震災が発生し、これを機に人生を見つめ直しました。そして再び絵の道に戻ることに決め、24歳でフリーランスとして仕事を始めました。

ただ、「僕の絵は世の中に通用しない」という挫折から、自分の独自性は捨てて仕事をしていたんです。そんなとき、知り合いのイラストレーターに「PALOW.さんって、絵は上手いけど何を表現したい人なのかまったくわからない」とストレートに指摘されたんです。

これには無性にイラッときて。「やろうと思えばできるわ!」と思い、これまでの鬱憤も含めて絵で表現してみたところ、高い評価を受けることができました。


「All equal Experimental 01」

僕が「美しい」と感じていた、昆虫や草花の美しさは、社会から見るとグロテスクな要素を含んでいました。それを人々が受け入れられる形で表現できるようになったのは、社会とぶつかったからこそだったのかなと思います。

米山:私は絵の中でも特にアニメに魅力を感じていました。演出意図を計算して1画面をつくるという崇高さに惹かれて。専門学校を卒業するときに、運よく知り合いのつてがあったこともあり、アニメ制作会社のガイナックスにアニメーターとして入社しました。

最初は本当に大変でした。歩合制なので、ずっと鉛筆を握って12時間ぐらいデスクに張り付いて描いていないと、お金が稼げない状態です。楽しいけれど、親に仕送りしてもらいながら生活する毎日。それが2年ぐらい続きました。

その後キャリア積んでいき、『キルラキル』(2013年)で作画監督、『キズナイーバー』(2016年)でキャラクターデザインを担当しました。役職を得て偉くなればなるほど、技術力は上がっていきましたが、絵をコントロールする側に回ってしまい、創作的ではなくなってしまったんですよね。



2017年に父が他界して、自分の人生や、やりたいことを考える転機になりました。「自分の技術力や想像力でものをつくってみたい」という気持ちが湧いてきて、アニメ制作会社から離れてフリーになることにしました。

そして2019年に現在のSSS by applibotに所属しました。元々仕事以外の時間で、息抜きにオリジナルでイラストを描いてpixiv(イラストコミュニケーションサービス)に投稿していたこともあり、本格的にイラストレーターをやってみようと思いました。

アニメーターとして10年間積んできた経験もあって、イラストレーター界では「技術のある人」として受け入れていただきました。


「LAYER」

現在はアニメーター出身というキャリアを活かし、動的な絵やアニメのシーンを思わせる作風を取り入れています。
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文=堤美佳子 取材・編集=田中友梨 撮影=杉能信介

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