日本で探偵小説ではなく警察小説がもてはやされる理由とは?

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僕は小説家、「Forbes JAPAN」の執筆者としては、めずらしいタイプのもの書きだろう。これまでもっとも多く書いた小説のジャンルはいわゆる「警察小説」と呼ばれるものだ。刑事を主人公にした小説である(鑑識係が主人公なんて変則技もあるけれど)。隣接するジャンルには探偵小説があり、こちらの主人公の稼業が探偵であることは言うまでもない。
 
警察小説と探偵小説とでは、かなり趣が異なる。まず、歴史が深いのは探偵小説のほうだ。シャーロック・ホームズ、サム・スペード、フィリップ・マーロウなど、たとえ読んだことがなくても主人公の名前くらいは聞き覚えがあるのではないだろうか。
 
ただ、ここ最近、人気があるのは圧倒的に警察小説のほうである。編集者から「警察小説を書いてみませんか」という誘いを受けた時、「探偵ものでは駄目ですか」と聞き返したところ、「駄目です。ここは是非とも警察小説で」と即答された。
 
探偵が都会の孤独な一匹狼なのに対して、刑事は都道府県の警察組織に属している月給取りなので、組織人としての悲哀を描くことができ、いまや人口のほとんどがサラリーマンとして生きている現代社会においてはこちらのほうが断然受けるのだ、などという説明があとに続いた。
 

警察は取材に対して口が重い


書き手にとって警察小説というのは泣き所がある。探偵がどんなオフィスでどこにランチに出かけて、どんな助手がいるのかは、すべてでっち上げられるのだけれど、警察小説は、ある程度、実際の警察組織のことを調べて書かなければならない。
 
クライムストーリー(犯罪小説)の基本スタイルはリアリズムだ。そのためには取材をしなければならない。「調べて書く」のは当然であるけれど、警察は取材に対して非常に口が重い。泣き所というのはここである。
 
そしてさらに困ったことに、小説というのは枝葉末節なところにこそ、こだわる。たとえば、どこそこの署には術科(逮捕術のこと)を鍛錬するための道場はあるのか。そこでひと汗かいたあとに浸かる風呂の湯船はどのくらいの大きさなのか。湯船はなくてシャワーだけなのか。
 
あるいは、喫茶店で参考人から話を聞いた後でもらう領収書には「警視庁」と書いてもらうのか、「八王子署刑事課」まで入れるよう頼むのか等々……。実にどうでもいいような話であるが、小説においては、ストーリーの流れしだいで、とても重要になってくることがある。
 
しかし、質問されるほうとしては、そんなくだらないことで電話をかけてこられては迷惑だろう。僕は、警視庁や警察署に電話をかける際には「小説を書いている者です」と名乗る(そうするしかないではないか)のだが、質問をすると、たいてい拍子抜けしたような声を出され(ウンザリした顔が見えるようだ)、さんざん待たされたあげく、「答えられません」となることが多い。
 
上記の湯船の大きさの質問をしたときには、「そういう内部情報を漏らすと、いろいろと差し障りが出ますので……」などと言われた。しかし、庁内の湯船の大きさを教えると、どのように差し障りがあるのだろうか。それを僕が知って犯罪に使う手口を考えてみたが、わからない。
 
「どうして教えられないんですか」と問い質すと、上記のようなムニャムニャした理由を告げられるだけで、一向にはっきりしない。「まあ、適当に書いておけばいいんじゃないですか、小説なんですから」という衝撃的なアドバイスをもらったこともある。
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文=榎本憲男

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