開口一番、
「実はね、先日たまたまこれからの宇宙産業に興味があって、いろいろ調べていたんだよ。これ見てくれる?」
と差し出してこられたのは、一冊のスクラップブックでした。
拝見すると、中には新聞の切り抜きやウェブ記事などのコピーでいっぱいでした。
顔を上げるとそこには、出井さんの、まるで少年の様な瞳がありました。
当時掲げていた事業戦略はまだまだ穴だらけでしたが、
「日本は地上のインターネットでプラットフォーマーになり損ねた。君の言うように、宇宙にも高速インターネットの時代が来る。頑張りなさい。」
とその場で出資を快諾いただいたことが、どれだけ僕の心の支えになっていたか。
その年の秋、日仏経済交流委員会共同議長としてのパリミッションにわざわざお招きいただくだけでなく、登壇の機会まで作っていただいたこと、視察やお食事をご一緒したこと、セッションの合間の雑談、すべてに出井さんの「挑戦者」に対する温かい応援の気持ちがあふれていました。
今も思い出されるのは、あの透き通った少年の様な瞳です。
彼の業績に対して賛否両論あるのは存じ上げています。
でもそれは、彼自身が、常に少年の様に純粋に、失敗を恐れずチャレンジをし続ける、本当に人間くさい「挑戦者」だったからだと思っています。
本来なら、僕たちの光通信衛星の打上げと成功をお見せしたかったのですが、もうそれは叶いません。
でも出井さんのことですから、「宇宙(そら)」から僕たちの衛星をワクワクしながらお待ちいただけるんだろうなぁ、と思っています。
ゆっくり、そしてやすらかにお待ちください。