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2022.06.09

GAFAで数学系の人材がひっぱりだこな理由。純粋数学はもう「ポケットに入っている」

東京工業大学理学院数学系教授 加藤文元氏(撮影=曽川拓哉)

「リーマンゼータ関数の零点は、負の偶数と、実部が1/2の複素数に限られる」、「単連結な三次元閉多様体は三次元球面に同相である」……。

数学にはとかく、数学界の「中」の問題に生涯をかけて取り組み、数学上の未解決問題を追求するといった、純粋な上にも純粋、すなわち実社会とは没交渉な「至高の学問」のイメージがないだろうか。

だが今、GAFAを始めとする米国のビッグテック各社が、数学専攻の優れた学生を積極的に採用している。そして、ヨーロッパには、「マスハイヤー・オルグ」を始めとする、数学系人材向け職探しサイトも豊富だ。少なくとも欧米では、数学界と産業界の距離は明らかに近くなっているようだ。

国内に目を向けても、経済産業省が2018〜19年、「理数系人材の産業界での活躍に向けての意見交換会」を開催したほか、2018年の同省の報告書「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える~」の中では、「デジタル革命、第四次産業革命を主導し、さらに限界を超えるために欠かせない科学が3つある。第1に数学、第2に数学、第3に数学である」といった趣旨が明らかにされている。

果たして日本でも、数学世界と現実社会の「架け橋」はかけられつつあるのだろうか。

東工大学理学院数学系教授で、4月に放映されたNHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語」にも出演して話題を呼んだ加藤文元氏に、社会の問題解決と関わる「産業数学」の分野に今何が起きているのか、世界における日本の数学分野の成熟度について、そしてそもそも数学という学問は「どんな姿をしているのか」を聞いた。




「フェルマーの最終定理」を解いた数学がICカードに使われている……


──学問には「基礎」と「応用」があるといわれる中、数学には「基礎」よりももっとピュアな、純粋数学といわれる分野があります。数学の世界では、純粋と応用の分野はどれくらい離れているのでしょうか。

結論からいえば実は、現代社会においては、純粋数学と応用数学の区別はもう意味をなさなくなっています。つまり、「産業に応用されうる数学」は、いわゆる応用数学といわれてきたものの枠に収まらなくなっている。抽象度が非常に高くて純粋な数学の理論が、われわれのきわめて身近な暮らしに応用されているのです。

たとえば、ICカード。電子決済でかなりの大きな額のお金を動かすことができます。そのための堅牢なセキュリティーが実現したからこその社会実装ですが、その背後には「暗号技術のスペックが上がった」という事情があります。

そして、その暗号システムを作っているのは、「楕円曲線暗号」(1985年に発明された公開鍵暗号のデファクトスタンダード、RSA 暗号に比べて「短い」鍵で同等の安全性を提供できる暗号形態)です。

実は、この「楕円曲線暗号」は18世紀から研究されてきた高級な数学対象です。「フェルマーの最終定理」をアンドリュー・ワイルズが証明する上で、谷山・志村予想の一部を解決したことは有名ですが、その谷山・志村予想は、「すべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラーである」という、「楕円曲線」の考え方にもとづく主張なのです。

ICカードの実装に重要だった「楕円曲線」は「フェルマーの最終定理」にもつながっている。このことが示すのは、純粋の中でも本当に純粋な数学、数論幾何学、代数的整数論などが「すでに人々のポケットの中に入っている」という現実なのです。
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文=石井節子 撮影=曽川拓哉

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