本人による投稿は亡くなる直前までの1年半。2010年8月以降は両親が引き継ぎ、父(父ワイルズさん)が中心になって更新を続けていたが、脳出血で倒れてからは母(母ワイルズさん)が一人で担うようになった。
更新はペースを落としながらも七回忌(6年目の命日)となる2016年まで続いた。そこで更新の終了を宣言して現在に至るが、母ワイルズさんは没後もほぼ毎日アクセスしているという。
ワイルズの闘病記がワイルズさんによって更新されなくなって11年以上経つ。しかし、ブログはいまも追悼の拠点というかけがえのない役割を果たしている。いわばインターネット上のお墓だ。
故人のブログが「お墓」になる例はしばしば見られるが、これだけの年月機能し続けているのはかなり珍しい。”
インターネット上のお墓。故人の残したブログに、本人が亡くなって以後も訪れる人々がいる。
そこには、故人の生きてきた証が綴られており、故人の死生観はもちろんのこと、思い出の数々を窺い知ることが出来るだろう。
それこそが弔いにほかならないように思う。
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“きた。
やつがきた。
ついに副作用がきた。
しゃっくり。
笑わないでおくれよ。
出始めたら本当に止まらないんですよ。
ひっくひっく
抗がん剤シスプラチンの影響だそうです。
吐き気とかは皆無です。
今日もお見舞いで持ってきてもらった食べ物をむしゃむしゃ食べてました。
ひっくひっく、むしゃむしゃ。”
(2016年12月11日「追い風」/或る闘病記)
これは本書で紹介されている、希少がんと闘う京大院生のブログの一節だ。
そこには、抗がん剤治療と向き合う青年の、切なくも、ともすれば明るいとすら取れる前向きな姿勢を窺い知ることが出来る。
そして、そんな風に前向きとすら取れる闘病中の青年の変化が、やはりネット上に現れることとなる。
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“「自分の感情を押し殺しながらここまできた」、もう一つの反動だったのかもしれない。この時期を境に、山口さんは吹っ切れたようにネットでのコミュニケーションを割り切るようになる。
noteで「ぐっちのおと」を始めたのはその一環だ。当時Twitterのフォロワーは2万人近くに膨らんでおり、ブログの記事も万単位の読者に読まれるようになっていた。
読む人の規模が膨らむとさまざまな反応が現れる。「余命宣告を受けてどんな気持ちですか?」など、心ないリプライやコメントが届くようになった。そうした読者に届かないところで発信したい。そこでnoteの有料公開機能に目を付けた。
そして何より、もう本当にだめになってしまった時に、弱音を吐ける場所を作って置きたかったのです。(上2つのブログは、ありがたいことに何万人もの方々に見ていただいているのですが、その分どうしても弱音を吐きづらいという思いが、ずっとありました。)”
(2012年3月21日「もう一つの闘病記」/ぐっちのおと)
この半月後の投稿をもって、山口青年は故人となる。
本書で紹介された同青年の闘病記と、その経緯には、読み手の思いを容易には寄せ付けない、凄絶なまでに繰り返す希望と絶望が描かれている。と同時に、そんな残酷な日々の中で、山口青年がネットに見出した捌け口と逃げ場所がいかに大切なものだったかも描かれている。
本書『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)は、市井に溢れる名も知れぬ不幸の羅列などでは無く、また昨今言われる「SNSの功罪」などではないもっと大切な何かを、仮想の空間に求め作り出す手立てが示されていた。身につまされる一冊である。