ビジネス

2022.05.27 08:30

旧ソ連出身の起業家がたどり着いた「金」という究極のオフライン資産

コロナ禍や、ロシアによるウクライナ侵攻によってインフレーションが進み、景気の先行き不透明感が増している。リスクを減らす分散投資の重要性がますます高まるなか、暗号資産など新たな選択肢が増える一方で「金」の価値を再考する動きがある。



サイバー攻撃にインフレ、パンデミックのなかで、あなたの財産は安全だろうか。そう問いかけるのは、旧ソ連生まれの起業家サイモン・ミハイロヴィチ(63)だ。ニューヨークに拠点を置くブリオン・リザーブで、資産家を相手にある方法で彼らの富を守るビジネスを展開している。顧客に代わって精錬所から金塊を買い、警備会社ルーミスの現金輸送用装甲車に載せて2つの大陸にある厳重に警備された倉庫まで届けさせるのだ。

心配性のミハイロヴィチには、貴金属ファンドの株式を買って銀行に預けておくという選択肢はない。厳重に管理しているように見える銀行も、実は脆弱なネットワークの一部にすぎない。それは、富を守ってくれるはずの政府の信用失墜やハッカー、流動性危機、電磁パルスなど、さまざまなかたちで破壊される危険にさらされている。

「いま起きているのは、誰もが絶対に起こるはずがないと思っていた異常な展開です。旅行は中止を余儀なくされ、資産は凍結され、ヨーロッパでは戦争が勃発しているのですから」(ミハイロヴィチ)

彼が金塊に魅せられる背景には、本能的な衝動があるようだ。彼の祖先は100年前、抑圧の続くウクライナからレニングラード(現サンクトペテルブルク)に逃れた。その際、金貨をもっていたおかげで食料を買うことができたという。

悲惨な状況は続き、1941年に始まったドイツによるレニングラード包囲戦では100万人が命を落とした。ミハイロヴィチの祖父母は重要な仕事に就いていたおかげで4人とも生き延びたが、一家はやがて共産主義体制から逃れることを決意。70年代にそのための道がわずかながら開けた。

ミハイロヴィチは当時10代だった。出国ビザ発給機関では、職員によるいやがらせもめずらしくなく、ミハイロヴィチも「裏切り者!」と罵声を浴びせられた。出生証明書には、彼が厳密にはロシア人ではないことが記されていた。ユダヤ人であると。

やがて彼と両親、それに2人の祖母の出国が認められた。79年に米国メリーランド州のボルティモアに降り立った彼は、レニングラードで工業学校に通った2年間が1年分の単位として認められ、ジョンズ・ホプキンス大学で理学士号を取得した。

起業家になりたかったミハイロヴィチだが、縁あって米フィデリティ・ギャランティ生命(UF&G)で働き始めた。10年後の97年には会社を説得して債務担保証券(CDO)の発行を始めさせた。合併で親会社が変わり、新しい経営者がCDO事業を手放すことにすると、ミハイロヴィチとそのパートナーはこれに飛びついた。2人はCDO事業を、20億ドルを運用する資産運用企業に育て上げ、2008年の金融危機の際も空売りで利益を上げ続けた。

だが、リーマンが破綻すると取引で発生した売掛金は回収できず、破産債権としてたたき売る羽目になった。パートナーは引退を選び、ミハイロヴィチはポートフォリオを縮小した。彼にも引退できるだけの余裕はあったが、そのつもりはなかった。
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文=ウィリアム・ボルドウィン 翻訳=フォーブス ジャパン編集部 編集=森裕子

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